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小野藩陣屋跡 登城日:(1999.07.31) 所在地: 小野市 |
歴史 |
寛永十三年(1636)六月、伊勢国神戸藩五万石の大名だった一柳直盛は今までの功績を認められ、伊予国五万八千六百石に加えて播州加東郡一万石をあわせて、六万八千六百石に加増された。が八月に直盛は病で亡くなったために所領は三分割され、それぞれを息子が引き継ぐことになった。次男の直家は加東郡王子村敷地に代官所を置いたが、やがてそれが小野藩の祖となった。
一柳家はそのまま代々小野藩を盛り立て、明治維新を迎えるまで見事な政治を行ったようである。 磐代神社 当神社は、小野藩一柳家の氏神として陣屋の構築にともない建社されたものである。旧社殿は、昭和四十年の台風により倒壊し、現社殿は昭和四十一年に再建された。 祭神は、一柳家の祖、伊予国の名族河野家の氏神でもあった大山祇神である。五代藩主末栄は宝暦年間(1751〜1763)に一柳家の基礎を築いた一柳直未(磐代明神)とその子松千代(真栄霊神)を祖神として合祀している。 祭日である三月二十九日は羽柴秀吉の家臣として活躍した直未が伊豆山中城合戦で戦死した日にあたり、旧藩時代には藩主自ら祭祀を司り、直未の武功にあやかるべく軍神として尊崇し、軍士出陣のときは必ず参拝して武運長久を祈願したと伝えられている。 『磐代神社案内』より
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資料 |
私見 |
小野藩陣屋跡は小野小学校のなかに点在しています。まるで小学校が陣屋跡であったかのようです。とくにその正門が学校門らしくないところが最たるものでしょう。コンクリートでつくられた屋敷門風を見て、最初は城跡公園にあるトイレなのかと思ってしまいました。(^_^; しかし・・それっぽくするんだったら茨木城みたくすればよかったんですけどねぇ。 門横には陣屋の縄張り図陣屋跡があり、地形をよく見るとなるほどなとうなずかされました。南と西は断崖、そして東側には大小の池があり平坦な平野部の広がる小野の原のなかでもここしかないといったところに居を構えたんだなと納得しました。
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