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小野原城跡 登城日:(2004.04.29) 所在地: 篠山市今田町本荘、城山稲荷 |
歴史 |
戦国時代の末期、ここに城があったと伝えられるところから、俗称「城山稲荷」で知られている。 大正末期の「稲荷神社明細帳」によると、「永禄元年(1558)夏の大干ばつによる村民の嘆き忍び難く、八上城主波多野秀治の武将小野原右京勝政が稲荷の神霊を城内に勧請して豊穣を祈る。その後勝政は慶長二年(1607)、朝鮮において戦勝祈願をしたところ神徳著しく、帰城の後ますます崇敬した。」とあり、また、「城山稲荷神社沿革誌」によると、「市原城主小野原采女が慶長の役(1597)に出陣のとき、戦勝祈願をしたため無事帰城、慶長五年、城内に勧請。」とある。 明治に入って、徴兵のがれの神として崇敬者を集め、戦後は商売繁盛の神として、遠来の崇拝者も多い。 大祭は4月24日及び9月23日で、毎月24日は月並祭とされ、9月の大祭日には、多くの人でにぎわっている。 『城山稲荷案内板』より
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資料 |
私見 |
遠くからでも確認できる、頂上部が平らになっている独立した山上に小野原城跡はありました。 山頂に神社がありますので、その参道をあがっていくだけですので藪こぎの心配はありません。が、その参道がなかなか大変です。 標高300メートル以上ある城山は石の階段と鳥居がほぼまっすぐに上へ伸びています。一気に駆け上がってやろうと思いましたが、ちょっと無理でした(^^;。頂上部には下からでは予想できないほどの石垣が形成されていますが、これは後世作られたものであるのはわかります。 ってことで遺構はよくわからない状態ですが、私も商売繁盛を祈って帰ってきました。
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