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高木大塚城跡登城日:(02.05.03→2013.09.14) 所在地: 三木市別所町朝日ヶ丘 |
歴史 |
この付城は、三木城を兵糧攻めにするため築かれた30余りの付城の一つで、絵図「三木城地図」に描かれています。
曲輪は主郭のみで、櫓台を中心に配し、その周囲を十字の形に土塁で囲み、南西に虎口(出入り口)を設けています。曲輪の広さは約3,600uで、古墳が所在する周囲を含めると約6,500uが残っています。 土塁が十字形に四方に張り出しているのは、正面だけでなく側面からも攻撃できるように意識し築いたもので、これを横矢掛りと呼んでいます。 櫓台は一辺約20mの隅丸方形を呈する高さ約5mを測る規模で、周辺に古墳(塚)が点在することから、古墳群中最も大きい古墳を利用して築かれたものと考えられています。このことからこの付城を「大塚」の名称を用いて「大塚城」と呼んでいます。なお、この付城を守った武将については、残念ながら分っていません。 『大塚城跡案内板』より
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資料 |
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私見 |
高木大塚城は、織田方の三木城包囲網の第二期とされる南側に広がる土塁線の中に位置する陣城の1つです。本陣である平井山ノ上付城も含めた全陣城の中ではダントツの土塁の状態と、他に類を見ない形状が何度見ても惹き込まれてしまいます。十字型のような形状をもつこの城は南西部に虎口を持ち、一旦まげてから中心部の物見台に至る経路を構築しています。 また当時はおそらくつながっていただであろう高木大山付城との間に残る、高木大塚土塁も合わせてチェックしてみましょう。南北に二重となった土塁線は多くが破壊されてしまってはいるものの、部分的には現在も露出していますので注意深く見れば確認することができます。このあたりは国指定史跡となりましたので、今後も大切に保存していっていただきたいものですね。明石や魚住方面から三木城内に兵糧が運び込まれないようにしっかりと固められていたのですね。南側に残る土塁は状態がいいものが多いので、歩きながらたどっていくのも楽しいですよ。
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