HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

御里遺跡


登城日:(2006.10.09)
所在地: 養父市八鹿町八木
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
すでに埋め戻されていますが、八木城の城主館跡です。  御里遺跡は八木城の南麓の斜面にあり、戦国期の八木豊信、豊臣期の別所重棟らの居館跡であると推定されている。平成十二年度から十六年度にかけて5ヵ年計画により重要遺跡の確認調査が進められた。特に十六年度の調査では茶室などのある庭に配置されている『飛び石』が発見され、別所重棟の頃のものであろうとされている。
 県内でも珍しいこの『飛び石』は、但馬地方にも伝播していたことを明らかにする貴重な発見である。

『八木・御里遺跡発掘調査現地説明会資料』養父市教育委員会刊参照

【戻る】

資料
 

私見
すでに埋め戻されていますが、八木城の城主館跡です。  八木城には来たことはありましたが、今までこの御里遺跡を目指そうと思ったことがありませんでした。というのも発掘調査のタイミングを逃してしまい、今やすっかり埋め戻されてしまっているだろうと思っていたからです。
 とは言え、偶然でも前を通ったのですから素通りはできませんね。実は手元に平成十六年度の現説資料を持っておりましたので(笑)、それを広げながら散策してみることにしました。場所は八木城の下八木登城道の手前の畑や墓地、物置などが点在している一帯になります。一応地元の方に確認し、うろうろすることを許可いただきました。
 「まぁ見るだけなら。」
 って、それ以上のことはできませんからね。個人的に掘り返すことなんてしませんよ(^^;。
 遺跡は上段、中段、下段の3段構成となっています。『飛び石』が発見されたのは上段のもっとも山際の部分。つまり城主の館の一番奥にあったということですね。しかし残念ながら近くで茶室があったことを伺わせる敷石は見つからなかったということですのでまだ真相は明らかになったわけじゃぁないようです。とはいえ兵庫県内では貴重な遺構です。同じような『飛び石』は肥前名護屋城で見られるということですので、またいつか発掘調査を検討いただきたいものです。そのときは絶対見に行きます。
【戻る】