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利神城跡
登城日:(2000.11.05)
所在地: 佐用郡佐用町口長谷
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
二の丸跡。瓦片と鹿糞が目立ちます  利神城は平福駅裏の標高三百七十三・三メートル、比高二百五十メートルの利神山の頂上にある。その規模は東西三百メートル、南北五百メートルに及ぶ。城は総石垣造りで山の至るところに石垣が残されている。
 山頂部の五角形の曲輪は「天守丸」と呼ばれ、この南西部に三層の天守がたっており、北部には虎口があり、一段下へと続く本丸に続いている。そして本丸の南には二の丸、そして西側には三の丸が置かれており、それらはすべて石垣で造られて、さらに山全体の尾根を覆うようにして曲輪が広がっている。
 利神城の歴史は、通説では代々別所氏が城主であったとされていたが近年の調査でその誤りが明らかにされてきている。また織豊期には宇喜田氏家臣の服部勘助が在城していたとされているのも現在では疑問視されており、いまだ明らかにはされていない。今でも二の丸あたりに散乱する瓦片は当時のものだと言われている。
 徳川期になり、関が原の闘いの後姫路に池田輝政が入り、その甥である由之が姫路城の支城としての利神城に入城した。そして池田由之の手により利神城は大改修され現在の形になったとされている。

参考文献:神戸新聞総合出版センター版『ひょうごの城紀行(下)』

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資料
 

私見
石垣が素晴らしい  久々に山城を攻略しようということで利神城を登ってみました。比高二百メートル余りということでしたが、その急なこと・・(笑)めちゃめちゃきついです。また登城道は急な斜面につくられており、うっかり足をすべらせるとしゃれにならないことになってしまいます。また現在城山一帯は野生の鹿が横行し、麓の作物を荒らすということでネットが張られており、登城する際にはそのネットをくぐっていくことになります。鹿なら大丈夫だなと思いながらやっとのことで二の丸跡まできましたが、急に景色が開けた二の丸あたりからはやたらと鹿の糞が落ちています。
もしここで鹿の群れとであったら、とか鹿にちょいとつつかれたら・・と少し不安になってきます。しかもそのときにはすでに体力が限界にきてましたからよけいです。
 ただそうしたことを抜きにして周りを見渡すと、利神城の壮大な姿に感動させられます。尾根全体に石垣が続き、まだまだ篭って戦えるのではないかとまで思ってしまいます。(笑)ところどころ滑落しており、ちょっと危険なところもありますがもっと整備してこの現状を維持していってもらいたいものです。
 1匹くらい遭遇しても良かったのに・・鹿。
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