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清水構跡登城日:(2005.10.15) 所在地: 姫路市飾磨区清水3丁目辺り |
歴史 |
清水構は「飾磨郡誌」によれば英賀城三木氏の家臣森崎主殿介が居城していたとある。天正八年(1580)に、羽柴秀吉が英賀城を陥落させた後、清水構には宮部善祥坊を城主として入城した。しかし翌年の鳥取城攻めに随行するため宮部がいたのは1年たらずで清水構はそのまま廃城となったようである。
『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林刊参照
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資料 |
私見 |
清水構跡は、古地図では「城ノ内」という字名の北寄りの微高地に本丸があったとされています。現在の地図でいうと清水3丁目を南北に走っている幹線道路やそのすぐ西側あたりを比定できると思います。当日の天候が雨だったのもありますが、車で道路脇に止めて考えておりましたが、完全に消滅していると思います(^^;
*岸構居と間違ってしまいすいませんでした。
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