徳川家康が築城し、やがて「出世城」として知られるようになった
浜松城は江戸期においては幕閣への登竜門として、多くの城主が移りかわっていきました。新定陣屋を築いたとさいれる井上氏は幕末近い1758年(宝暦八年)から正経、正定、正甫と3代続いた後一旦は陸奥棚倉藩へ転封となりますが、続く水野氏が2代城主を勤めた後に再び1845年(弘化二年)に浜松城へ帰り咲きました。正春、正直と続き明治を迎えることとなります。いずれも”河内守”であったようで、一体誰がこの新定陣屋を築いたのかまではわかりませんでした。
陣屋があったとされる場所は北に東条川が流れる河岸段丘で、東側は崖となっています。ちょうど川向こうの街道を見渡せるロケーションです。南側は田んぼになっていますが、当時はここも陣屋の一部であったのかもしれません。そしてその奥に竹薮があり、土塁が一部残っていました。南北に伸びるよう作られていますからそこから東側の藪の中が陣屋の中心であったのかと想像しています。
ほとんどよくわからない状態でずっと放置していたのですが、とりあえずそれらしくまとまったのでこれで置いておきます。また新たな情報がわかってくれば加筆修正いたします。