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浜松城跡
登城日:(2000.08.28)
所在地: 浜松市
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史

浜松城公園です。 本丸跡に建つ家康  浜松城は、徳川家康が遠州攻略の拠点として築いた城で、元亀元年(1570)六月に入城し、十七年間在城した。東西六〇〇メートル、南北六五〇メートルの規模で、南の東海道に大手門が開き、東から西へ三の丸、二の丸、本丸、天守台と連なり、順次高さを増す。ここは、その天守曲輪の跡である。家康の後、城主は代々譜代の大名が勤め、在城中に老中まで栄進した人が多い。中でも水野越前守忠邦の名はよく知られている。石垣は、野面積みと呼ばれる堅固な作りで、古い石垣の特徴をよく残しており、浜松市の史跡に指定されている。

◆天守曲輪
 曲輪というのは、城や砦を石や土で囲んだ所をいう。ここは丘陵の西のはしの最も高い所にあり北東と南東の方向にはり出した菱形(東西五十六m、南北六十八m)に近い形をしている。
 周囲は低い土塁(土でつくったへい)があり、すぉの下に石垣をめぐらしている。東に天守門、西に埋門があり、内部は広場となっていた。

◆井戸
 この井戸は、銀明水と呼ばれていたという。
 浜松城には、天守台に一つ、天守曲輪の埋門のそばに一つ、本丸に一つ、二の丸に三つ、作左曲輪に四つ、計十本の井戸があったという。
 天守台の井戸は、再建の時に残し、今は天守閣の地下室にある。
 直径1.3m、深さは現在1mほどになっており水はない。

◆浜松城の石垣
 浜松城の石垣は、見るからに荒々しい。自然石を上下に組み合わせて積み上げたもので、表面に石の隙間もあるが、奥が深く堅固である。外観は粗雑でちょっとみるとくずれやすいようであるが四百年の風雪に耐え、いまなお戦国時代の面影を残している。
 このような積み方を野面積みという。使った石は館山寺の東の大草山、根本山、浜名湖の西の湖西市知波田方面にある珪岩である。
当時の石垣が残っています ◆天守台と天守閣
 天守台は天守曲輪の内部にありほぼ長方形をしてまわりは石垣で囲まれている。天守閣への上り口は一ヶ所で広場の南側から、三回屈曲した石段を上ると東向きの天守閣正面に達する。面積は二四〇u(およそ七十坪)である。天守台には天守閣が置かれていたはずであるあ江戸中期の絵図には描かれていない現在の天守閣は昭和三十三年に再建された。

◆浜松城の沿革
 浜松城は、徳川家康が築いたものです。
 家康は、永禄十一年(1568)に三河から遠江に入り、各地を転戦して、引馬城をはじめ諸城をしたがえると共に、浜松城の築城に着手しました。
 元亀元年(1570)長子の信康に岡崎城を譲って自らは浜松城へ移り、駿遠経営の本拠と定めました。
 家康は、二十九才の時この浜松城に移り天正十四年(1586)四十五才で駿府城(静岡市)に入るまで、在城十七年の長きに及んでいます。
 有名な姉川、長篠、小牧、長久手の戦もみなこの期間に行われ、特に元亀三年(1572)の三方原合戦は、家康の生涯における難戦で、関が原合戦以上の戦でした。家康にとって、この浜松在城十七年間は、徳川三百年の歴史を築くための試練の年でもあったわけで、浜松城が出世城といわれるのもけだし当然といえます。
 城郭は、南北約五〇〇メートル、東西約四五〇メートルの地域にわたり、三方原台地の斜面に沿って天守閣、本丸、二の丸、三の丸、がほぼ一線に並び、いわゆる梯郭式の築城法に属しています。その他作左曲輪、出丸等もあり、古城と称する個所は、引馬城の跡といわれています。また現存する石垣は、築城当時そのままのもので野戦城にふさわしく粗削りの岩を使って頑丈に構築してあります。
 家康の後、浜松城は豊臣の家臣堀尾氏が城主となりましたが、江戸に幕府が開かれてからは、代々譜代大名にこれを守らせました。その石高はおおむね五万石前後でしたが、松平(大給、本庄、大河内)、水野、高力、太田、青山氏等が在城し、井上氏になって明治維新を迎えました。城主として特に有名なのは天保の改革を行った水野越前守忠邦です。忠邦は肥前唐津にいましたが、その栄達を望んで、すすんで浜松城主になったといわれています。
 明治維新以後、城郭は壊され、すっかり荒廃に帰して、苔むす石垣にわずかに当時の面影をしのぶばかりですが、昭和三十四年六月一日、市の史跡に指定されました。
 昭和三十三年春、浜松市民の努力がついに実を結び、旧天守閣跡に立派な新天守閣の再建を見るにいたりました。
 三階展望台は海抜五十メートル余りあります。

『浜松城跡案内板』より

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資料
 

私見
天守です 地下には井戸跡がありました  浜松城はちょうど浜松市の市役所の裏手にあたるところにあり、路上駐車は不可能な市街のど真ん中にあります。なにげに市役所の訪問客用に設置された駐車場(有料と出ている)に車を突っ込ませました。地下から入って、そこの係の人の誘導で二階にあがりました。するとちょうど城の前に出てます。 ラッキーとばかりにそのまま城をめざしました。
 各所に掲げられている案内板のとおり荒々しい自然石を積んだ石垣が危なげに積み上げられているのをみながら復元された天守を見上げます。この浜松城、本丸跡と書かれた場所にはまったくといっていいほど何もありませんね。私はすぐに天守に入りました。平日だったせいか訪れる客もまばらでここぞとばかりに天守内で写真をとっていました。(ちょっと反省)。天守地下には城地内に数カ所あったとされる井戸の一つが発掘されています。当然ここでも撮っておきましたが(笑)。
 とりあえず一回りして駐車場を出たのですが、このときすっかりここが市役所用のそれだということを忘れていました。駐車券には訪れた役所の課の印を押すようになっているのですが、当然城課なんてあるはずもなく、「うーーん、どうなるんだろう」と思っていました。が、全然気にする必要なかったんですね。そのままあっさり駐車券を受け取った係のおじさんからは「ご苦労さまです。」とねぎらいの言葉までいただき、気持ちよく出ることができました。当然、無料です。やはり平日だったからでしょうか。この浜松城を訪れる方にはぜひこの駐車場を利用していただきたいですね。
 まぁ、私と同じ扱いになるかどうかはまったく知りませんが・・・って全然城とは関係のない感想でしたね。
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