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志知城跡 登城日:(2002.08.10) 所在地: 三原郡三原町松本 |
歴史 |
志知城は鎌倉時代の初めに菅和泉守道忠が築城したといわれている。その後数代にわたった菅氏は室町時代になり、淡路守護細川氏に属し、菅氏を改め、野口志摩介と号するようになる。やがて細川氏の勢力が衰えると、家臣であった三好氏が台頭するようになり、淡路でも安宅氏をはじめとする淡路十人衆と呼ばれる土豪が三好氏に属するようになった。
天正九年(1581)、長宗我部氏が阿波に侵入したときに野口長宗は郡家の田村康広と共に十河存保に味方して戦った。さらに同十一年(1583)の羽柴秀吉による淡路攻めがあり、岩屋城・由良城に続いて志知城も陥落。直後は黒田孝高が志知城に在城して、長宗我部氏に備えた。 天正十三年(1585)、秀吉は洲本城に脇坂安治、志知城に加藤嘉明を配して治めさせる。その後嘉明が伊予正木に転封されると志知城は秀吉の直轄地になったが、代官の三好・石川氏が河口の叶堂城に新しい城を築き、それとともに志知城は廃城となった。 新人物往来社刊『日本城郭体系12』参照
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資料 |
私見 |
目印としていたガソリンスタンドのすぐ裏手にある鬱蒼とした藪が志知城跡でした。いったいどこから近づけばいいのかわからないほど藪が生え放題になってて、まさに夏に不向きな城跡であることが実感させられます。ですが、城跡をぐるりととりかこんだ水掘が城らしい雰囲気を醸しだしていて、それだけでも往時の郭の規模がよくわかっていいですね。 現在の縄張りは加藤嘉明の手によるものだということで、築城の名手の技を確認できなかったのが非常に残念でした。
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