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曽我井城跡


登城日:(2006.12.02)
所在地: たつの市新宮町曽我井
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
曽我井城からのびる西側尾根先。物見台跡か? 曽我井城登城口。封鎖しているように見えたのは気のせいじゃなかった・・  曽我井城は、『揖保郡誌』によれば元弘年間(1331〜33)に赤松円心によって築城された。やがて嘉吉の乱(1441)の際に落城したが、後に赤松祐高が再興、しかし天正年間(1573〜91)の初め、羽柴秀吉の攻撃により再び落城した。

『町史よもやま話』新宮町発刊参照

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資料
 

私見
曽我井城主郭部から段々と郭がつくられています。 少し藪化している曽我井城主郭部。  新宮町内にある国民宿舎「志んぐ荘」の駐車場に車を置き、同宿舎へ歩いていく途中に曽我井城の登城道がありました。よく整備されたつづら折れの道があり、簡単に登城できるのは助かるのですが、途中からは倒木がひどく、直登せざるを得なくなっていました。それでもそんなに高くありませんので10分もあれば尾根上に出たのではないでしょうか。右手に進むと尾根先端部に出ます。岩盤がむき出しになった状態で、物見台跡のようにも見えます。眼下に揖保川や周囲を一望できますし、城山城とも連携できそうな感じです。
 主郭へはさらに上へと登っていくことになります。ここからは倒木もありませんし、虎ロープもありますので簡単に頂上へ。主郭のまわりには小さな削平地(といっても曖昧な状態に見えますが)があり、連郭をとっているようです。北東と南西にそれぞれ段々につらなっただけの簡単な縄張りですが、南北朝期の山城をよく残していると言えそうですね。
 帰りはかなり苦労してしまい、登りよりも時間がかかってしまったのは予想外でした。とりあえず登城道上をふさいでいる倒木を撤去していただけたらありがたいのですが(^^;
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