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須加院構居跡
登城日:(2003.08.13)
所在地: 神崎郡香寺町須加院
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
案内板だけがおかれている構居跡  この構居は、永禄・天正(1558〜1592)の頃、赤松旗下の須加院隼人が住んでいました。構居は日常生活を営む居館を非常時に備えて強化したものです。
 当町には他に恒屋城の家老花村将監が住んでいた中村構居があり、田野城(堀出雲守満則)・矢田部城(大坪越前守祐重)・恒屋城(恒屋伊賀守光氏)と赤松旗下の山城がありましたが、秀吉の中国征伐の際に落城しました。
 ここから西北西には、置塩城の出城だった谷山の城山が見えます。

『須加院構居跡案内板』より

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資料
 

私見
付近は石垣があちこちで見られます。 付近は石垣があちこちで見られます。  恒屋城を目指して香寺町にやってきたんですが、そのついでに須加院のほうにまで足をのばしてみました。
 国道312号線「須加院」の信号を折れ、播但線の踏み切りを越えて須加院川沿いに車を進めます。しばらく行き川が右へと膨らんで曲線を描くところにきましたら左へそれる細い道路がありますのでそこに入ります。ちょうど車が1台通れる程度の道幅ですが、躊躇せずにいってください。そしてそのまま道なりに進んでいくと右手側に構居跡を示す案内板が目に飛び込んでくるようになるはずです。
 このあたりは左手側、つまり南側が山手となり逆に北側が川が流れているといった地形にも恵まれたところで、また案内板が立てられているところはいくつかの段差がある平地となっており、ところどころ石垣が見えています。が、これは最近のものでしょうね。
 結局どこまでが構居跡なのかよくわからなかったのですが、とりあえず写真を撮って退散しました。
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