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炬口城跡登城日:(04.07.19→2013.02.24) 所在地: 洲本市炬口 |
歴史 |
炬口城は、永正二年(1505)に安宅監物秀興が築城したと言われている。その後駿河守吉安が継ぎ、そしてその弟といわれる次郎三郎秀益が城主となる。 この当時は淡路守護職細川氏を滅ぼした三好氏が淡路を制圧しており、安宅氏もその支配下となった。やがて三好元長が四国に下向した大永八年(1528)に次郎三郎秀益は叛旗を翻したが、じきに蟇浦の蟇浦常利、浦壁の島田時儀らに攻められ、炬口城は落城した。 『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林刊参照
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資料 |
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私見 |
2度目の炬口城です。前回は南側から直登を試みて断念しましたが、今回は東側からのアプローチとなりました。民家の脇の細い通路を通りながら傾斜を登っていきますと、沢地形となっているところに出ます。そしてここを真っ直ぐに登っていけば炬口城の城域となります。なんで前回悩んだのだろうと思いつつ、斜面を登っていきます。するとすぐに目の前に険しい傾斜面が立ち塞がりますので、右へと進路を変えて少し回り込むようにして進むのが正解です。でもテンションが上がってしまった私はそのまま直登へ(笑)。炬口城は城好きの脳を刺激する何かを発しているのでしょうか。無性に攻めたい衝動に駆られ、ただただ切り立った斜面のわずかなとっかかりを探しつつ、上へと目指していました。 数分後、無事尾根上へと出ました。自分で言うのはなんですが、このルートはとっても危険ですので、回り込んで城を目指すようにしてください。時間短縮したという気もしませんし、何より疲れます(^^;。 少し歩くとすぐに城域へと到着しました。一見してそれとわかる山城遺構が目の前に現れます。まずは主郭とは堀で分けられた郭を散策します。そこから見る主郭の感想は、「とても綺麗な土の城!」です。数メートルの落差のある切岸を駆け下りて、主郭の斜面も直登してみたい衝動に駆られます。でも遺構破壊にもなりかねませんので、ここからは慎重に。 主郭は土塁が巡らされた構造となっていますが、その状態がとても良好です。以後ここに来る人もほとんどなく、また何かに使われることもなかったのでしょうね、改変されてしまうことなく城跡の様子を今に伝えてくれているのはほんと感動です。土塁に囲まれた、郭が2つあり、虎口もよく分かりますね。木々に閉ざされた視界が残念ではありますが、その分余計なことに気をとられることなく、ただただ城跡と向き合うことができるのも堪らない空間と言えます。炬口城はお奨めです。熱くなれますよ。 また、南側にある神社には、宝暦七年(1758)頃、稲田氏の老臣本庄市兵衛氏の邸宅跡であったとする案内板が置かれています。興味がある方はそちらもチェック。
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