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田野山城跡
登城日:(2004.09.26)
所在地: 神崎郡香寺町田野
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
巨大な岩盤が崖の上にせり出しています。  田野城は、西方500メートルの城山(標高220メートル)の山頂にありました。
 『播磨鑑』には、東西20間、南北5間、西ノ丸東西二十三間、南北六間と記されています。
 十四世紀初めの頃、赤松円心の旗下であった堀氏五代の常光が田野城を築きました。当時は今部城と呼ばれ、天正五年(1577)二月、秀吉の中国征伐によって恒屋城、矢田部城と共に落城しました。
 時の城主の堀出雲守満則は、落城後、清瀬氏と改め、大庄屋職を務めました。北東に見える田野の法琳寺は、堀氏の居館があったところです。

『田野山城跡案内板』より

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資料
 

私見
山頂部の削平地  田野山城跡は、須賀院から田野へと抜ける山道(田野寄り)に案内板と登城口がありました。案内板にあるように500メートルいくのかぁ、と思いながら登城口を歩いているとかなり快適な道だということがわかりました。これなら楽勝だ、と小走りで進むのもわずか。すぐにその期待が裏切られます。おそらく台風のせいなんでしょうが、登城道を木々が倒れてふさいでしまっています。それを迂回するのが結構大変です。また数箇所そういうのがありました。
 それでもなんとか進むことができ、城域に入ることができたまではいいのですが、この城の削平地がかなりの段差で存在しているんです。やはり一番高いところを目指さないとと思い、断崖に取り付いたのですがかなり緊張しましたよ。完全に気分はフリークライマーです(^^;。まぁほんとの苦労は登りじゃなく、下りでしたが・・・。
 苦労の末、山頂にたどり着き削平地を一通り歩いて見ましたがとくにこれといって何もないです。(;_;)。しんどい登城があればそれだけ到達したときの達成感を熟知しているはずの私も今回ばかりは徒労感と虚しさが募るばかりです。大きな岩盤がある、といった程度のコメントしかできません・・。
 そして、帰りはあまり語りたくないです。しんどかったです。今の季節絶対に行ってはいけません。というか行くほどのところじゃないです。大怪我する可能性が高い城跡でした・・。
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