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天神山城跡
登城日:(2003.11.23)
所在地: 佐用郡三日月町上本郷鎌倉天満
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
南側斜面にたつ城址碑  天神山城は、嘉吉の変(1441)後、播磨守護となった山名氏の武将である小笹九郎兵衛尚恒が城主となった山城である。それを大内山城の奥五郎兵衛が夜襲をかけて攻略。以後はこの地に居住した。

『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林刊参照

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資料
 

私見
斜面全体に何段もの削平地が広がります  新しくなった三日月陣屋を見たついでに同町の城跡を攻めてみました。標高250メートルとはいえ比高が50メートルということで気楽に考えていたのですがそれが大失敗でした。なかなか見つからないんです(笑)。
 仁増集落から鎌倉川を越えた先の天満集落の中だと思っていたのですが何人かの地元の方に聞いても「そんな城聞いたことがない」とのこと。日暮れ近い時間にようやく当たりをつけた山に登った時、木製の城址碑が建っていたのを見たときは異様に嬉しかったです。
 すぐ近くにいた高齢の方にお話をお聞きすると、この城の奥には馬落としもあるという。う〜ん、なんでこの人が最初に見つからなかったんでしょ。とまあ結果オーライで城跡を散策します。城主に関係があるのか、この地に立つ墓石に「小笹」さんがやけに多いんです。そういえばこの山に入る手前にも小笹商店がありましたし、何か関係があるんでしょうかね。それにしては奥氏の墓石は見かけなかったですが・・。
 城跡の現状は南側へと緩やかな傾斜をもつ天神山全体に削平地が何段もあり、それが頂上まで続いているようです。墓石が点在するあたりより北へは一気に段差が数メートルもあり、取り付くことはできませんでしたが、その上が本郭だったのでしょう。手元の縄張り図を見ますとその奥に崖があり、その下には堀がつくられています。これがさきほどの方がいう「馬落とし」なんですかね。
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