大平山城を後にした我々はそのまま西に進みました。それほど高低差のない尾根上を移動していくと、途中破砕道に分断された土塁や兵を駐屯させるには十分な広さのある平地を目にしましたがそれを毛利側の陣城であると断定することはできず、先を急ぎます。
やがて、太平山城があるピークから見て二つ目のピーク、ちょうど南に大きくせり出した格好となっているところにはっきりと城跡の姿を確認しました。南東へと伸びる尾根上には合計10段ほどの曲輪が連続して続いているのがかなりわかりやすい状態で残っています。そして約15メートル四方ほどの主郭らしき最上部の南側には切岸があり、南西側にはまたいくつかの段差が作られていいます。
第一発見者の同行者の方をはじめ、この場にいた全員が色めきたったのは言うまでもありませんでした。早速測量を始める方や、地形を丹念に図にしていかれる方もいらっしゃり、その場は一瞬にして発掘調査現場と化しています。上月城はぎりぎり見えるか見えないかくらいの奥まったところにあるこの城跡は一体なんという名で、誰が作ったものなんでしょうか。
名もなき新発見のお城、幻の山城、それが私の1000城目のメモリアルな城めぐとなろうとはとても予想できなかった結果でした。私だけならこのような展開はとうていできなかったことでしょう。この場に居合わせてくださった全ての方に感謝、感謝でした。