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魚住城跡 登城日:(2001.09.23) 所在地: 明石市魚住町中尾 |
歴史 |
魚住城は南北朝時代に赤松氏の一族である魚住長範によって魚住町中尾に築かれた。
天正六年(1578)、魚住頼治は毛利軍が三木城へ兵糧を運ぶ基地として西嶋の丘に柵を巡らし新しく城を構えた。天正八年(1580)に、三木城の落城とともに魚住城は廃絶した。 平成十年の発掘調査で魚住城の掘割の一部と考えられる遺構が見つかりここに城のあったことが確認された。 『魚住城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
魚住城は2度目の攻城です。前回は海に近いところをイメージしていたのがそもそもの間違いでした。今回は細工所陣屋同様、不動石さんの情報のおかげで簡単にたどりつくことができました。
前回と同じく住吉公園脇に車を駐車させ、東に向って歩いていきます。が、その前に住吉公園のそばに建つ小さな周辺の簡略図があり、そこにはちゃんと魚住城の位置ば記されています。だいたいの方向を把握できると出発です。瑞雲寺脇をぬけ、一旦海沿いに南下しますが、酒造工場の脇を抜け、そこから北へあがっていきます。すると今まで歩いてきたあたりとは明らかに段差のある高台の上に完全に宅地化され、新しい家が立ち並んでいます。そのなかにはだだっ広い空き地があり、その空き地の周りにはしっかり柵が設けられて、むやみに侵入できないようになっています。よくみるとそのそばに案内板を発見しました。 おそらくこの空き地は城の発掘の際掘り起こしたあたりなんでしょうね。無駄に空き地になっている様子は周りが宅地なだけに実にもったいない気がしましたが、それだけ明石市が魚住城を評価していたということなんでしょうか。う〜ん、違うか。 とはいえ、この案内板の説明文ももひとつですね。
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