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山垣城跡 登城日:(2004.08.08) 所在地: 氷上郡青垣町山垣 |
歴史 |
山垣城(万歳城)は丹波の名族足立氏の居城であった。「尊卑分脈」によると足立氏は遠く藤原鎌足を祖とし十四世遠兼が武蔵国足立郡を領した。十五世遠元が足立氏を称し、武勇の誉れ高く、鎌倉幕府・源頼朝の武道指範となる。その後遠政が佐治郷を賜り承元三年(1209)、この地に移り住み、万歳山に山城を築いた。 以来12代370余年、足立氏の本拠として栄え、足立氏の盛衰と運命をともにした。 天正年間、12代城主・弥三郎基助の時織田信長の丹波攻めにあい明智光秀の軍勢との挟撃にあい、激戦のすえ、天正七年(1579)5月18日に落城した。 城跡は北から南へ、本丸、二の丸と曲輪跡が連なり、馬場、堀切、土塁の跡もみられ、山麓には「堀の内」「垣の内」の地名がある。 なお、埼玉県桶川市(武蔵国足立郡)に遠元公館跡があり、桶川市史には義を守り友情に厚い武将で源頼朝・政子の信任も厚かったと記されている。 『山垣城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
但馬でいくつか山城を攻めた後で、この山垣城のことを思い出しました。現在、北近畿豊岡自動車道の建設工事が行われておりちょうどそのルート上に山垣城跡があったはずだ、と。 ということで和田山方面から国道427を東に走っていると、遠阪小学校や郵便局が見えてきますので、それらを通り過ぎてすぐを左折します。 正面に見えてきますのは高さ約100メートルほどの山で、山上には本丸があり、次第に南に下りていく形で二の丸、三の丸、南の平が連なっている山垣城跡がありました。郭を堀切で仕切られて、周囲には帯曲輪もつくられています。また東と西側にそれぞれ竪堀も残っています。 最南端からは急な崖になっており取り付くことができませんので、お城の西側に作られた足立遠政の墓所から城域に入るのが一番楽だと思います。ただしこの登城ルートですと城域に入った時点で二の丸内に着いてしまいますので本丸だけを目指すのであればそこを左へ、また南の平から順番に見ようと思うとそこから山を少しくだらないといけません。 城跡の現状は、ここも柴城同様に夏場でも安心して歩ける山ですので地形もよく確認することができます。二の丸から本丸へは傾斜があるのですが、本丸東側には大きな堀切が残っています。また、本丸西側から北側へと帯曲輪がまわっていて、北側にはさらにもう一段郭がありここにも小さな堀切を見て取ることができます。全体を見て、非常に分かりやすい城跡ですのでスケッチブック片手に縄張り図が描きたくなってきます。そういった趣味の方には是非。(^^; とりあえず、高速道路のルートとは少し違うようで残っていけるようで一安心です。
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