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山下城跡登城日:(2013.03.09) 所在地: 加西市山下町 |
歴史 |
山下城(山下構)の詳細は不明である。一説には赤松則祐の家臣であった浦上七郎兵衛行景の居城と言われている。観応二年(1351)の光明寺合戦の際、赤松則祐に従って赤松直義の軍と戦ったことが書かれている(『日本城郭全集』)。 天正期の三木合戦では、城主浦上久松は兵を伴って三木城へ籠城して、羽柴勢と戦った。この戦いの後、城は廃城となったようだ。(『別所氏と三木合戦』三木市教育委員会刊参照) 常行院の南東の丘陵(通称城山)に、「播磨鑑」によると浦上久松(1570年代)の居城として”中世城郭遺跡”があります。 平成二十一年三月 加西市市史・文化財室の調査によると、この丘陵は、規模が大きく本丸も広い面積で立派な城郭を有する山城(山下城跡)であることが分かりました。そこで、里山ふれあい森づくり(住民参画型)事業を実施し、平成十九年度に落慶した常行院本堂とともに、この周辺を山下西町の「歴史遺産地区」に、また、山下城跡を「ふれあいの森」として整備しました。 『現地案内板』より
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資料 |
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私見 |
今まで何度も通っていた道でしたが、気が付けば何時の間にやら「山下城」という案内がついていました。引き込まれるようにして狭い道路を抜け、常行院の前まで車を走らせます。すると真新しい駐車場と、山下城の案内板が設置されているじゃないですか。どうやら最近刊行された加西市史の編纂の際に調査され、その後里山ふれあい森づくり事業として地域の方々が整備してくださっているようです。折しも私が訪れた時に、登城口のすぐ前で「ここに駐車場をつくろうか」と相談されている方々がいらっしゃいました。「何もないけどゆっくりしていきな。」の言葉に自然と癒されます。 そして、山下城です。丸太で階段が造られた先には木を伐採した山の形がそのまま顔を出しており、迫ってくるかのようです。一見していい城だと感じました。と同時に「知らなかったなあ・・」という驚きもありました。加西市内はあちこち行っていたつもりでしたが、こんな大きくて立派なお城があったのですね。 主郭の北側を歩いていくと井戸跡らしき水溜りがあり、そこから左へと斜面を上がっていきます。結構大きな郭があり、土塁や横堀が見て取れます。そこから南へと城の中心部へ視線をやると、これまたすごい!二郭、主郭と大きな段差をもつ、美しい土の城です。主郭の虎口は左がやや突き出した格好となっているのかな。そして東西に土塁があったように見えますね。主郭からは周囲が広く見渡せ、なかなかいい拠点であったと思います。主郭の下には帯曲輪状に郭がぐるりと周りを取り囲み、さらにその下にも一段郭が造られています。トゲトゲの藪がひどくて私は確認できませんでしたが、さらにそのしたには城の南方を中心に竪堀群がみられるようです。 登ってきたルートを戻りますと、まだ北側に郭が広がっているように感じます。加西市史の図面にはありませんが、平坦な地形が3段ほど丘陵先端まで続いていました。また、現在畑地となっている場所も広大な郭と考えますとかなりの規模のお城だったということになります。城主の浦上久松は全然知りませんでしたが、加西市史によれば「別所家無二の与力」だったそうです。天正元年(1571)に小寺政職の出城であった増位五ヶ村を攻めたことが伝えられているようです。しかし、こんないいお城を持ちながら、三木合戦では使われなかったのですねぇ。 今までほとんど無名だった(私が知らないだけ?)山下城ですが、ぜひとも一度訪れてみていただきたいなと思います。出来れば南側の畝状竪堀が見られれば嬉しいんですけどね。
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