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矢野城跡
登城日:(2004.02.14)
所在地: 相生市矢野森字藤堂
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
石垣(石塁)と堀跡が見事に残っています。  矢野城の城主は赤松彦五郎則である。文和四年(1355)2月9日に足利義詮を助けて山名氏と戦ったが神南の地で戦死したといわれている。

『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林刊参照

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資料
 

私見
石垣(石塁)が弧を描いているのが確認できます。 石垣(石塁)が弧を描いているのが確認できます。  矢野城跡は感状山城跡の南麓の斜面に残る城跡です。民家が横並びに建つ間を抜け、山の南麓に出るとあたりは石垣がこれでもかとばかりに広がっています。が、これらは矢野城のものとは違うようで(よく分かってません)、『森古墳』と書かれた小さな看板まであります。
 矢野城はその奥になりますので、猪よけのガードをまたいで斜面を少し上がることになります。私は運良く地主さんに出会うことができましたので城跡一周を案内いただくことができました。
 城跡は大まかには80メートルx60メートルの方形(やや台形)状に石垣が周囲を取り囲んでいます。かなり崩れてきたり、近所の方が持ち帰ったり(笑)したようだとのことでしたが、それでも低いところでも1メートルほどの高さの石垣(石塁)があり当時ではかなりの堅牢性を誇っていたのではないでしょうか。
 あまり知られていませんが矢野城だけでも十分に石垣を堪能することができます。感状山城にお越しの際にはぜひセットでお楽しみください。
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