結城城跡 登城日:(2002.11.09) 所在地: 結城市字結城、城跡公園 |
歴史 |
結城城は治承年間(1177〜1180)に結城朝光が築いたとされるが確証はない。むしろ南北朝動乱期に築城されたと見るべきであろう。 その後、結城家は室町時代に関東八家の一に列して勢力をふるい、戦国時代には宇都宮・佐竹氏らと伍して生き残り、天正十九年(1591)徳川家康の二男秀康を十七代晴朝の養子にもらい受け、慶長六年(1601)越前福井への国替えまで関東の雄として栄えた。 結城氏の転出後、結城城は廃城となったが、元禄十三年(1700)水野勝長(18000石)の入部によって再興され、明治に至るまで水野家の居城となった。 結城の名を不朽にしたのは永享十二年(1440)の結城合戦である。関東公方足利持氏が将軍義教と争って滅ぶと結城家十一代氏朝(1402〜1441)は、持氏の遺児春王丸と安王丸を奉じて兵を挙げた。 幕府は諸将に氏朝らの討伐を命じたが、結城落城まで一年余の歳月を費やし、結城の名を天下に轟かす結果となったのである。 『結城城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
栃木県の小山駅を中心に栃木の城を巡ろうと思っていたのですが、結城城が近くにあったのでついでにめぐってみました。小山駅下にある観光案内所でレンタサイクルを借り、約6.5キロ走ると結城城跡がある城跡公園に到着します。途中、学校なんですがお城っぽくしてるところがありました。城跡公園よりもはるかに城跡のようです(笑)。 さて、結城城はたいした比高ではないのですが、平山城として台地の上につくられていました。現在の公園からは城跡らしきものは一切感じ取れませんが、奥にある駐車場から見た公園がいかにも城があってもおかしくない台地を把握することができます。また、公園右手前に広がる堀跡らしきものがかなりの幅で残っていますので、堀跡だとするとかなり立派な水掘が当時はあったのでしょうね。結城市としてはあまり城跡を重視してないのかなぁ、という印象をうけましたが、近くに結城氏の御廟がありますのでそれとセットでめぐるといいかもしれませんね。
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