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二曲城

二曲城跡


登城日:(2011.08.22)
所在地: 白山市出合町
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
 国指定史跡 二曲城跡
二曲城主郭の石敷路跡 二曲城二の郭を見下ろす  当城跡は、鳥越城跡とともに織田信長の攻勢に最後まで抵抗した、白山麓の一向一揆の拠点となった城跡である。
 二曲の地は、白山麓門徒の指導者であった鈴木(二曲)氏の本拠で、本来、この城跡は、山麓の通称「殿様屋敷」の館に居住した、同氏の砦であった。
 城跡は鳥越城跡から大日川の対岸に相対する標高268メートルの独立峰上に築かれており、山頂は平坦に削平されていて、屋根上に腰郭と空堀の遺構が確認できる。
 天正八年(1580)十一月、鳥越城跡とともに落城するが、山内衆の抵抗はこれをもって終らなかった。『信長公記』によれば、翌天正九年(1581)二月、加州一揆が蜂起して「ふとうげ」に入置かれた柴田勝家の人数三百人を悉く討ち果たしたとある。
 しかしこれも、織田方の佐久間盛政によって鎮圧された。翌天正十年、一揆衆は再度鳥越・二曲両城を奪還するが、同年三月、生捕者三百余人の磔により終息する。
 二曲城跡は鳥越城跡とともに加賀一向一揆の最後の砦となった歴史の舞台としての意義をもつことから、史跡に指定され、保存が図られている。

 @平成16年度発掘調査概要
二と三の郭との間の堀切  石敷路跡(西端入り口部)、掘立柱建物跡(南半に2棟)、礎石建物跡(北西部)、地下式龜跡(掘立柱建物跡東棟北側)、石列(西辺)、あなぐら跡(北西部)が確認されました。
 石敷路跡は、本丸の入り口部、中央部、南西隅の3地点で検出。長さは11m、6m、2mで路幅は約80〜100センチ、径約20〜30センチの扁平な円礫が密に敷き詰められていました。鳥越城跡でも確認されています。
 掘立柱建物跡は西棟が2間x2間(4.4mx3.6m)、東棟は北東への伸びが認められ、2間x(3)間(4.8mx5.4)m)が予想された。
 礎石建物跡は、あなぐら跡の周囲に礎石と思われる扁平な川原石が確認されたことから所在が推測されたもので、規模等は不明です。
 地下式龜跡は、平面瓢箪形で、長さ150センチ、幅100センチ、深さ34センチ。焚き口部は長さ30センチの川原石が両脇に立ち、臨時的設置が推測されます。石列は、長さ6m、幅60センチで越前焼摺鉢片、大龜底部片を包含する盛土内に設置された、礫の大きさは径30センチを超えるものが目立ちました。あなぐら跡は、平面楕円形で、長さ3m、幅2m、深さ40センチ、覆土下層の炭化物を含む地層から多くの陶磁器が出土しました。
 出土品は、16世紀後半と思われる陶磁器を主として30数点が出土しました。

 平成17年度発掘調査概要
三の郭  掘立柱建物跡、炉跡、土止め石積み跡、土坑跡の遺構が確認されました。
 掘立柱建物跡は昨年建物範囲が確認できなかった東棟で、2間x5間(4.8mx9.0m)の規模が確認されました。
 炉跡は、掘立柱建物跡の内部、東側よりに位置し、長さ90センチ、幅80センチの平面楕円形で20センチほど掘り込まれていました。床面に8センチの焼土層が認められましたが、覆土に炭化物が少量しか含まれず短期間使用と推測されました。
 土止め石積み跡は、東端部で確認された盛土層の流失を止めるような礫の集積遺構で、長さ7m、高さ約0.4mの規模で、礫の大きさは径10センチから50センチです。
 土坑跡は、平面方形プランで、80センチx80センチ、深さ35センチの規模で、周囲に径15〜30センチに礫が配置されていました。
出土品は、陶磁器を主として、接合復元できるものは皆無でした。しかし小刀の鍔、鉄砲玉は城跡の性格上注意されます。

 平成18年度発掘調査概要
18、19年の発掘調査概要図  二の郭を中心に4ヶ所(@二の丸東側及び二の郭腰郭地区、A本丸、二の郭間登城路地区、B本丸南側裾土塁・空堀地区、C本丸南裾井戸状遺構地区)の地区を調査し、掘立柱建物跡、土坑、土塁、空堀の遺構を確認しました。
 @の地区は掘立柱建物跡が3棟と炭化物を含む浅いピットの遺構が確認されました。1号掘立柱建物跡は未調査地区に伸び、柱穴は直径30〜50センチの円形で、深さ20〜30センチ前後です。2号掘立柱建物跡は、1号掘立柱建物跡の東側に位置し、南北2.6m、東西5.6mの規模で、柱穴の径は25〜45センチ、深さは30センチ前後で、柱穴覆土から青花碗破片が出土しています。3号掘立柱建物跡は2号掘立柱建物跡の北側に位置し、東西2.7m、南北3.6mの規模で、平行四辺形状を呈し、柱穴の径30センチ前後で、負荷さは10〜40センチです。
 Aの地区は、本丸から二の丸に至る路跡の遺構確認で5ヶ所を設定しました。九十九折となった平坦面は表土を除去すると岩盤が検出され、加工痕跡が認められました。
 Bでは、本丸南側で土塁と堀の遺構が確認され、比高差が約2.6mであることが確認されました。
 CBに遺構から谷筋奥15mの地点で、井戸の遺構を想定される落ち込み遺構が検出された。落ち込み遺物は微量であり、二の郭の活用期間が短期間であったことが想定された。

 平成19年度発掘調査概要
 6か所(@本丸降口石敷路跡地区、A二の郭西半地区、B三の郭前面空堀地区、C二の郭西側谷部堤状遺構地区、D四の郭前面石塁・空堀及び窪地地区、E登城路地区)を発掘調査いたしました。
 @平成16年度発掘調査で確認された石敷路跡の延長を確認したが、遺構は検出できなかった。
 A1号堀立柱建物跡の範囲が2間x3間であることを確認。虎口は内枡形状の2度折れのであることを確認し、虎口の地山面から、青花碗、瀬戸丸碗、石臼片、刀子等が出土しました。
 B三の郭に至る登城路を確認するため、三の郭前を確認し、土橋、掘遺構を検出しました。土橋は幅1.6mで両端の堀幅は上端3m、深底1.1mでした。覆土には炭化物が認められませんでした。
 C堤状遺構は盛土であり、V字状の削平が後世のものであることが確認されました。
 D土塁前面に40〜60センチの荒削り石積が確認され、長さは約11m、高さ80センチで2から3段の石積が遺存していました。前面の空堀は、幅2.4m、土塁上面からの深さは2.8mでありました。
 E登城路の延長確認調査で、表土を除去すると、多量の破砕礫を含む覆土が見られ、岩盤から近世に石を切り出した遺構とは判断されました。
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資料
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私見
登城口 二曲城の主郭  鳥越城を堪能した後、二曲城にもやってきました。鳥越城はもちろんですが、私としてはこちらの二曲城も実はかなり期待していたのです。登城口脇に設置された案内板には詳しく発掘調査の様子が掲示されており、これまた期待感を煽られます。ただ時間があまりなかったので、今回は案内板にあるハイキングコースにしたがって、一周20分の道のりを歩いてみることにしました。しかし最初に言っておきますが、お奨めできません。これはあくまでも雑木林散策路がメインのようなので(笑)、行程の向きを逆にして城の郭群を登っていくようにすれば随分と印象が違ってくるはずだと思います。
登城路 登城口脇にある湧水  とりあえず私は雑木林の中を真直ぐ進み、左上の郭群の尾根筋を見ながら先を急ぎます。するとコースは城跡をぐるりとまわりこみ、突然主郭に到達してしまいました。 いきなりのピークであることと、さらに主郭の状態がいかにも最近土を被せましたという状態に言葉にできないガッカリが私を襲いました。不自然なほど綺麗に整地されているせいか、周囲がよく見渡せる状態であるのも違和感を覚えます。郭南側に少しブルーシートがかけられていましたので、今の状態はきっと仮の姿なのだと思うことにします。シートは少しめくれていたのでその下から石積み遺構が顔を出しているのがわかりました。この辺りが平成19年度の調査概要にあった「本丸降口石敷路跡」なのですね。ここから南へと尾根筋を下っていくことになります。細い尾根ですのでまっすぐに段々と郭群が形成されています。九十九折れとなっている登山道も往時と同じものなのでしょうか。少しずつ郭を降りていくに従って、主郭で覚えたガッカリ感が薄れてきました。やっぱり城ですね。ただどうしても鳥越城と比べて考えてしまうので、物足りなさは拭いきれません。一般の城ファンには寂しいところかもしれませんが、発掘調査結果を見ながら想像して探索するのが好きな方には面白いところなんでしょうね。そばにある『鳥越一向一揆歴史館』とセットで楽しんでください。
 そうそう、二曲城の登城口そばに湧水が出ていましたのを思い出しました。調べてみたら「おぶく水」という名水として地元の人に愛されているのですね。知ってたら飲んでたのになぁ・・。
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