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小丸山城跡登城日:(2006.05.05) 所在地: 七尾市馬出町、小丸山公園 |
歴史 |
天正九年(1581)八月、織田信長より能登一国を与えられた前田利家は、翌十年正月より小丸山城を築城した。城は東西80メートル、南北72メートル、高さ25.6メートルの本丸を中心に天性丸(第二公園)、宮丸(愛宕山)、大念寺山(御貸山)の四つの砦で構成された。 七尾市街地を東西の袖ヶ江、御祓地区に分ける御祓川(みそぎがわ)は、小丸山築城の際に、能登国中の十五歳から六十歳までの男を五日間夫役させて堀りあげた堀割りである。 宮丸には愛宕神社が建てられた。愛宕の神は火伏せの神で城下町の防火を願い、本持仏は勝軍地蔵なので軍に勝つということから戦国武将に信仰された。利家も兜の中に二センチ程の銅製の勝軍地蔵を秘めて戦いに出たと伝えられ、その像は今でも尾山神社に遺されている。 近年の調査で、本丸に巽櫓と坤櫓が建てられていたことが判明し、小丸山城の充実ぶりが窺える。 利家は、天正十一年四月の賤ヶ嶽合戦後、豊臣秀吉より能登一国に石川・河北両郡を加増されて金沢城へ移った。利家の兄五郎兵衛安勝は、金沢城代になると共に、小丸山城主となり、町奉行の三輪藤兵衛吉宗・大井久兵衛等と能登の支配に当たった。元和二年(1616)の一国一城令により廃城になったと伝える。 『小丸山城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
前田利家が築城した小丸山城は現在では公園となっていました。比高30メートルもない小さな小丘が3つ隣接しており、かつてはそれぞれが郭として連携しあっていたのでしょう。車を宮丸跡に停め、一旦下ってまた登れば本丸のある丘に到着します。ぱっと見それほど防御を考えられた複雑な構造ではなさそうです。 本丸跡には大河ドラマ「利家とまつ」を記念した像や長谷川等伯の記念碑がありました。ここから橋を渡って、天性丸跡にいくことができます。当時の絵としても本丸と天性丸との間に橋がかけられているのですね。 天性丸は整備された庭と、奥に少しだけ遊戯施設が設置されていました。眺めはいいのですが城跡としては消滅しているといってもいいかもしれませんね。当時の構造がわかる地形が残っているだけでよしとするしかありません。ただ大念寺山だけは無くなってしまっているようです。地図を見ればちょうどJRのと川との間に「御貸屋山」という名称が載っています。大念寺山の別名が御貸山ですからここに4つ目の小丘であり、砦があったのでしょう。
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