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小松城

小松城跡


登城日:(2010.10.09)
所在地: 小松市丸内町中島
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
小松城の本丸櫓台石垣  「小松城」の資料上の初見は、天正十一(1583)年、羽柴秀吉は以下の前田利家が、柴田勢から「小松之城」を受け取り、これを堀秀政に渡したとする書状である。秀吉の時代に村上氏や丹羽氏が居城し、慶長五(1600)年10月より前田氏の有するところとなった。
 ただ、この段階までの小松城の状況は不明で、寛永十七(1640)年、加賀藩主前田利常が隠居領の居城として整備したのが、今に伝えられる小松城と城下の実質的な建設であったと考えられる。
 小松城は、梯川の蛇行によって作られた沼地を利用した平城であり川の水を引き入れた堀の中に8個の島が兵法に従って配置されている。城の面積は、金沢城の倍近い約56万平方メートルに及ぶ広大なものである。
 城地の約30%を堀が占めておりその様は「小松の浮城」とも呼ばれたぐい稀な景観をもつ名城であった。
 表向きは利常の隠居城であるが、外敵に対する防備を堅くした渦郭式といわれる構造である。河川を巧みに利用した反面、水害に対する備えも必要で、盛土の他、随所に堅牢な石垣による護岸を行っていた。

◆小松城本丸櫓台石垣
本丸櫓台石垣の階段  江戸幕府は、寛永十六(1639)年、一国一城令の例外として、加賀藩三代藩主前田利常に隠居地として小松での居城を認め、併せて城修築を特に許可した。これにより、従来の城郭地は本丸となり、二の丸、三の丸、葭嶋、琵琶島、中土居などを増築した。石垣は、戸室石のほか、地元の鵜川などから切り出した石を用いた。工事は寛永十七(1640)年より工事をはじめたが、利常の19年の在城中には、城内に泉水や茶室を設けるなど、粋がこらされた。
 明治五(1872)年、小松懲役場が三の丸におかれ、囚人の役務として城のとりこわしが行われた。このため現在、本丸櫓の石垣と井戸が残るだけとなった。本石垣は切込ハギによる工法で四隅は特に精巧をきわめ、周辺沼地の軟弱な立地条件にもかかわらず、櫓台直下は砂州の西端にあり安定した土地であるため、勾配は垂直に近い積み方である。

◆芦城公園
小松城三の丸庭園  芦城公園の前身である小松城は村上氏・丹羽氏居城の時代を経て、慶長五年(1600)より前田氏の管轄となり、加賀前田家三代利常が小松を隠居地に定めたことで、城の姿が一新されました。寛永十七年(1640)、利常が入城し、この後の城の拡張に伴って「三ノ丸」として城内に取り込まれた場所がここ芦城公園にあたります。
 時が移り、幕末から明治にかけて小松の象徴として永く親しまれてきた小松城が次第に取り壊され、跡地が民間へと売り払われてゆく中で小松の人々の中にその面影を残したいとの思いから公園設置の機運が高まりました。その結果、この跡地を大蔵省に申請し明治三十七年、永代無償貸下の許可を得て開園、明治三十九年、正式に「芦城公園」と名付けられました。
 大正五年(1916)には加賀百万石を盤石にし、小松発展の礎ともなった前田利常の遺徳を讃え、園内に銅像が創建され(昭和四十一年再建)、今も人々を見守り続けています。
 現在、園内には、図書館・博物館・本陣記念美術館・茶室「仙叟(せんそう)屋敷ならびに玄庵」等の施設が設置され、文化と憩いの場として市民に親しまれています。

『小松城跡案内板』より

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資料
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私見
三の丸に建つ前田利常  小松城は軽く金沢城に行くついでに寄ったのがきっかけでした。市街地に残る近世平城として駐車場に悩むかなぁと思いながらまずは三の丸である芦城公園へ。ここは公共の駐車場があるので安心して散策できました。日本庭園や公園として整備がされており城跡としての雰囲気はあまり残っていません。前田利常像を撮影して移動することにします。ここから二の丸、本丸と歩いていくと結構な距離になりますが、城地が金沢城の倍もあったなんて知りませんでした。隠居城と言っても多くの水堀を取り込んだ巧みな縄張りが素晴らしいですね。あちこち公共施設や学校が建ってしまっているのが残念ですが、往時のことを想像しながら歩いていくとワクワクしてきます。
 次に車で本丸を目指します。小松城といえば必ず出てくる本丸の櫓台石垣が見えてきました。高校のグラウンドを見下ろせる高台にあり、そこだけがポツンと残されているのが少々不自然な感さえあります。しかし立派な切込みハギの石積みと色とりどりの石材、そしてまっすぐ垂直に積まれたその様が実に特徴的ですね。近づいてみると櫓台周辺には白いタンポポが咲くそうで、保護をうったえる看板がありました。春に来れば綺麗な白い花が咲き乱れているのが拝めるのでしょうか。タンポポの季節にやってくるのもよさそうですよ。
垂直に積まれた櫓台石垣本丸から二の丸方面を臨む  石垣は回り込むと階段がついており、頂部にあがることができるようになっています。石の階段はとても登りにくく、少々危険ですので注意が必要です。櫓台の上からは現代の景色となっているとは言え、十分周囲を見渡すことができます。なんと櫓台上に三角点もあるのですねぇ。
 本丸櫓台石垣を見たら満足しましたが、実は他にも見どころがいくつかあるようです。市内の来生寺には鰻橋御門が移築されていますし、兎御門扉及び葭島御殿兎門扉が金沢市の兼六園成巽閣に、二階御亭入口扉が小松市立博物館にそれぞれ保管されています。事前に来生寺の移築門だけはわかっていたのですが、櫓台石垣で満足してしまい、訪問することを忘れてしまってました。無念・・。まぁ雨の中での散策でしたので、今度は白いタンポポが咲き乱れる季節に再訪できればいいなぁ。
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