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名舟城跡


登城日:(2006.05.05)
所在地: 輪島市名舟町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
名舟城の門石と御陣乗太鼓の碑 ◆御陣太鼓の由来
 天正四年、越後の上杉謙信は七尾城を攻略しその余勢をかって奥能登平定へと駒を進めた。当時名舟村は舳倉島、七ツ島を有し山海の宝庫であったが、迫り来る百戦錬磨の上杉勢を前にし農民漁民の集まりでは勝敗は明らか。しかし郷土愛の一念から古老の指示に従い、木の皮で面を作り海草を髪とし夜陰に乗じ太鼓を打ち鳴らし夜襲をかけた。
 これを見た上杉勢は奇怪な様に物の怪か神の化身かと驚き惑い余儀なく退散したと伝える。これは氏神(奥津比畔)の加護によるものとし、以来、名舟大祭には神輿の先供として現在に至る。
 この碑石は当時の山城、名舟城(赤城、あかぬき)の門石である。

『現地案内板』より

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資料
 

私見
詳細は不明ですが城域は神社のほう?  名舟城の詳細は不明です。名舟町の港には立派な石碑がありましたのでよく見たら名舟城の名前がふれてあったので撮っておきました。
 ゴールデンウィークを利用して能登を巡っているのですが、ちょうどこの時期は御陣乗太鼓という当地のお祭り事が開催されていました。どこから聞こえてくるのか、太鼓の音がよく響き渡っていました。格好だけ見ればなまはげのようですが、これで天下の上杉軍を撤退させたということですがほんとのところはどうだったのでしょうね。
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