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飯田城跡登城日:(2008.01.13) 所在地: 高松市飯田町定木 |
歴史 |
飯田城は、定木に所在していたというが、その遺構を確認することはできない。 飯田城の城主で飯田主水正は、貞治元年(正平十七、1362)に細川頼之が讃岐の宇多津に上陸した時、一宮の大宮司らと共に馳せ参じて陣に入った。その後も、頼之に従って伊予の河野氏討伐に加わっている。 永正五年(1508)には飯田右衛門督が香西氏に従って山田郡の三谷城攻めに参加した。 また、天正十年(1582)、土佐の長宗我部元親が香西氏を攻めた時には、香西氏にくみして伊勢の馬場で奮戦するなど、その重鎮としての働きをしている。 天正十五年(1587)、生駒親正が讃岐の領主になった時には飯田伝右衛門が城主で、200石の禄で召し抱えられている。 ◆茶臼塚 茶臼塚は、飯田氏の祖先を祀った塚であると、伝えられている。 『飯田城跡案内板』より
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資料 |
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私見 |
飯田町定木あたりにかつて飯田城があったということでふらっと寄ってみました。民家が田圃の中に点在している集落には予想通り何もなさそうでした。しかし案内板があっただけでも嬉しいものですね。 『古城跡を訪ねて 高松市の文化財・第7編』(高松市歴史民俗教会・高松市文化財保護教会刊)を見ると、定木を”じょうぎ”と読むと城関連を想定させるというくだりから、集落内に点在する小塚を城に関連したものであるという仮定も入れつつ想像を逞しくされていました。私も見習わないといけません(^^;
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