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長崎鼻台場跡登城日:(2006.08.12) 所在地: 高松市屋島西町 |
歴史 | ![]() ![]() 嘉永六年(1853)ペリーが軍艦を率いて浦賀に来航して以来、国内では、海防の必要性が強く叫ばれるようになりました。讃岐では、文久三年(1863)幕府の命を受けた高松城主松平類聡が高松の港を守るため、ここに砲台を築きました。砲台は、藤川三渓(現高松市三谷町出身)の設計によるもので、南の丘から海に向って上、中、下の三段に分けて築造されました。上段は、守備兵の屯所になっており、中、下段には大砲が備えられていました。 『長崎鼻台場跡案内板』より
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資料 |
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私見 | ![]() ![]() 備砲は六門あり、二十六斤と十二斤砲が設置されました。合計65人で守備していた(「城郭・陣屋・要害台場事典」東京堂出版)ということで、かなり力の入った台場だったようですね。
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