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安田城跡登城日:(2008.09.15) 所在地: 小豆郡小豆島町安田 |
歴史 | ![]() ここから西北約300米、安田小学校の背後にある天王山は、五百年のむかしから、城山とも呼ばれ、中世の武将−伝承では、星ヶ城を砦とした佐々木信胤一党−の城跡である。 本農業協同組合周辺は、「城廻り」あるいは「城の藪」という小字名があって、この一帯が城山を中心としたその武将一党の民住地域であったことを証明している。 この神社に奉祀される祭神竹成御前は、星ヶ城落城の折、悲命にたおれた信胤の息女という伝承がある。 ◆お妻の局社 お妻の局は、南北朝時代、京洛三美人の一人といわれ、菊亭中納言家の女房であったが、備前国児島郡飽浦の城主佐々木三郎左衛門尉信胤に恋われ信胤の元に身を寄せ、延元四年(1339)信胤とともに小豆島に渡った。 星ヶ城に本拠を築いた信胤は有力な水軍をもって南朝のために功をあげ、日常生活の居館をこの地<安田下條>に営んだと伝えられ、このあたりを城ノ藪と呼び、星ヶ城の下に位置することから下城(現下條)と称し、「城まわり」「城のはな」などの地名が残り、「城」「城上」の姓がある。 正平二年(1347)北朝軍の細川師氏が、大軍を率いて小豆島に攻め寄せ、信胤軍は必死に反撃したが島の至る所で激戦となり、ついに一か月後の六月三日力尽き降参した。このとき、妻子眷属は皆安田城ノ藪において自刃したと伝えられる。 このお妻の局社は、安田農協の東側の畑中にお妻の局の墓として祀られていた五輪塔を移転し、お妻の局の霊を祀ったものである。 安田地区民に踊り継がれている「安田踊り」は、お妻の局と信胤の悲恋をうたいあげた優雅な踊りで、香川県の無形文化財に指定されている。 『日本城郭体系』新人物往来社刊参照
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資料 |
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私見 | ![]()
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