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青木城跡
登城日:(2001.09.10)
所在地: 横浜市神奈川区桐畑、本覚寺
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 青木城跡である本覚寺  青木城は北条氏の家老多米氏の所領であった。永録十二年の武田信玄の小田原攻めの際に、矢口の渡しから舟で稲毛の平間へ渡った武田軍に対して青木に居住していた多米周防守は、自らの居城を捨て、当主北条氏康の娘婿である吉良左兵衛佐の居住地である蒔田殿の御所を守護したことが「北条記」に記されている。
 その後も多米氏が領有したが、天正十八年(1590)の豊臣秀吉の小田原征伐の時、北条氏政の命をうけ、上野国西牧を守っていたが松平修理大夫に攻められ、討ち死にした。

『日本城郭体系6』新人物往来社刊参照

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資料  

私見  東京急行東横線「反町」駅から北にむかって歩いていくとどんどん坂道を登らされるようになります。坂道が落ちついたかと思ったら今度はさらに階段も現れてきます。そしてお墓が頂上に見えてきたかと思えばそのすぐしたに本覚寺がありました。
 まわりとの傾斜度はかなり急なものです。まさに城を築くには格好の場所だったのですね。
 なお、本覚寺は初代アメリカ公使館があった場所でもあります。
 そして目の前の国道1号線、東海道本線をはさんで権現山城があった幸ヶ谷公園が見えています。どうもこの青木城と権現山城は1つの城郭であったのではないかとも言われているようです。
 しかし・・・台風がきているこんな天候でなおかつちょっとした仕事の合間に(笑)、こんなとこ来てていいんだろうか・・。
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