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神奈川奉行所跡登城日:(2006.09.02) 所在地: 横浜市西区紅葉ケ丘 |
歴史 |
横浜開港にともない安政六年(1859)6月4日、開港場建設の事務に当たった外国奉行酒井忠行・水野忠徳・村垣範正・堀利熙・加藤則著の5名に神奈川奉行兼帯の命があり、青木町(神奈川区)に会所、戸部村宮ヶ崎(西区)に奉行役所を置き、また横浜村(中区)の中央に運上所を
置いて事務を執りました。この地にあった奉行役所は戸部役所と呼ばれ、内国司法・行政の事務を取り扱い、運上所では、関税及び外務全般の事務を取り扱いました。万延元年(1860)神奈川奉行は専任となり、松平康直・都筑峰暉が任命されました。 明治元年(1868)3月、明治政府は新たに横浜裁判所を置きましたが、4月神奈川裁判所と改め、これを2つに分け横浜裁判所・戸部裁判所とし、運上所並びに戸部役所の業務を引き継ぎ、神奈川奉行所は廃止されました。その後、明治3年、神奈川県庁と改称されました。 『神奈川奉行所跡案内板』より
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資料 |
私見 |
JR根岸線「桜木町」駅を降り、みなとみらいとは反対側の小高くなった紅葉坂の急傾斜をあがっていきますと、県立青少年センターがあります。そこに神奈川奉行所の石碑と案内板が設置されていました。仕事で偶然通りかかった時に見つけたのですが、そういう偶然の発見もなかなか嬉しいものですね。 神奈川奉行所は横浜開港の安政六年に設置されたということですが、そういえば神奈川台場も同時期に築造されてたんですよねぇ。まそれは置いといて、この神奈川奉行所はどんな規模だったのでしょうか。急な坂の上に建つここからは海がよく見えたでしょうね。
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