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須崎台場跡登城日:(2008.07.26) 所在地: 須崎市中町2丁目、西浜公園 |
歴史 |
◆土佐藩砲台跡 昭和十九年十一月 国の史跡指定 幕末、異国船の来航があり、海岸防備のため藩命により文久三年(1863)七月に着工し1か月半の短時日に完成した。 須崎には西、中、東の3ヵ所に台場が築かれたが、そのうち現存するのはこの西台場のみである。規模が最大で長さ116メートル、砲門7座、内側には弾薬室が7ヵ所あったが、明治初年埋められた。この砲台跡は明治40年、須崎町が払下げをうけ、公園として保存してきた。当時使用した砲弾が残っている。 慶応三年(1867)八月六日、イギリス水夫殺害事件で行使バークスは土佐藩と交渉するため軍艦(バジリスク号)で須崎港に入港し、幕府艦(回天丸)や坂本龍馬も来港して外国交渉の舞台となった。 『須崎台場案内板』より
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資料 |
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私見 |
高知藩は領内が東西に広がった海岸線を持っていることもあり、海防の為の台場が数多く築造されていました。天保14年の幕府への報告書によれば32ヶ浦が数えられています(『幕末海防史の研究』名著出版刊)。 その後増改築があって最大で45ヶ所に台場がつくられたというんですから台場好きには堪りません?(^^;。といっても高知県内には遺構がわかる台場は数少ないですので、その中でもこの須崎台場はすごいですね。当時の形状がそのままよくわかるようになっています。このページ中央部にある【地図を表示する】をクリックして航空写真のモードでご覧ください。 須崎には東西そして中と3つの台場が配備されたようですがここまで残っているのはこの西台場だけです。車をどこに停めようかと迷いますので駐車場があると嬉しいなぁ。幕末台場がもっと多くの人に知ってもらえるようになればいいなと思いました。
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