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浦戸台場跡登城日:(2008.07.27) 所在地: 高知市浦戸 |
歴史 |
この場所には、万治年間(1658〜1660)に建設された浦戸の灯明台があって、夜間舟の出入りする時の目印になっていた。 寛永十五年(1638)に外国船来航を監視するに土佐藩内4ヶ所に遠見番所がおかれ、正徳六年(1716)の記録によると浦戸にもおかれていた。やがて外国船が日本近海に出没するようになり、文化五年(1808)に大筒を配備し、文久三年(1863)には本格的な砲台場を構築した。この場所は弾薬を貯蔵していたといわれている。 『浦戸台場跡案内板』より
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資料 |
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私見 |
浦戸台場は、高知藩が築造した台場の1つです。高知は海岸線が長いためか、数か所に及んで外国船が漂着しています。そんな高知は江戸時代初期から遠見番所、火立場を設けていました。 文化五年には甲賀、津呂、浦戸、須崎、与津、下田、清水、柏島、宿毛の9か所に大砲を配備し、やがて郷士、地下浪人や漁師らに出動するよう海防に力を入れていきます。台場もやがて45か所を数えるまでに増えたようですのでかなりのものですね。しかしこの浦戸台場は遺構の状況から見てかなり大きなものだと思いますが大部分は失われてしまっているようです。でも今は龍馬が見降ろしてくれていますので安心ですね。(^^
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