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浜村城跡


登城日:(2005.05.04)
所在地: 舞鶴市北吸、夕潮台公園
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
城山のピークとなる主郭  浜村城の城主は三藤外記や桜井豊前守などとされているが、東大浦多禰寺の判物や『和田清左衛門文書』によれば天正三年(1575)は桜井氏が居城していたらしい。同年、織田信長の越前攻めの際、桜井氏は一色義道と共に舟師を率いて参戦した。また、のちの細川藤孝による一色氏攻めの際には藤孝は桜井氏に和平交渉を行っているなど当時桜井氏の勢力ぶりを伺い知ることができよう。
 やがて一色氏が滅ぶと桜井氏は秀吉に随身し、賎ヶ獄の合戦で戦果をあげたようである。

『日本城郭体系11』新人物往来社刊参照

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資料
 

私見
南側に繋がる郭  浜村城跡は舞鶴市役所の東側にある標高45メートルの独立丘陵の上にありました。国道27号線が南方で90度に折れ曲がっており城跡があった丘陵を強く印象づけています。現在は夕潮台公園となっていて往時の姿がかなり変えられえているようですが、さらに遡って明治中頃には舞鶴鎮守府設置が置かれたこともあってかなり姿がかわっているんでしょうね。
 とりあえず長い階段を駆け上がり、北側にあるピークから南に目をやれば、いったん落ち込んだ地点が中央にあり、その先の南側は郭跡とわかる段差がよく見て取れます。ぎりぎりまで海に迫った城山は、船溜りを有する水陸両用の城であたといわれています。城跡から見える自衛隊の軍艦がなんだかお城につながれた軍船であるかのように思ってしまいますよ(笑)。
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