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槙島城跡
登城日:(2003.08.31)
所在地: 宇治市槙島
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
あるのはこの石碑のみ  槙島城が活躍していた頃は、付近は旧宇治川が分岐する中州のような地形になっていたようである。よってたびたびその天然の優位性を獲得せんとして、数々の戦いが繰り広げられたようである。
 承久の乱のころに槙島城の名が出たところからはじまり、明応八年(1499)の畠山義就と畠山政長の対立が激しくなったころには細川政元の攻撃を受けて落城している。
 また、天正元年(1573)には、織田信長に叛旗を翻した足利義昭が自らこの城に篭り挙兵したのであるが、信長に攻められ槙島城はまたしても落城。そしてそれが足利幕府の滅亡を名実共に世間に知らしめたものとなった。
 その後、この地の重要性を意識した信長は家臣の細川昭元に守らせたり、また秀吉の時代には一柳市介に守らせてもしている。

『日本城郭体系11』新人物往来社刊参照

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資料
 

私見
 重要な拠点として存在していた槙島城ですが、現在はポツンと石碑があるのみです。しかも「この付近槙島城」とちょっとアバウトな表現になっていました。周りは住宅地となり、石碑があるところは私有地の中のようです。実に寂しい状態ですねぇ。
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