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中山城跡登城日:(2008.04.28) 所在地: 舞鶴市字中山 |
歴史 | 中世の山城である。丹後の国守一色左京大夫義道の居城とされる。後に沼田幸兵衛清延が城主となる。標高60メートル、城郭の幅約20メートル、延長500メートル東側は腰を没する深田、西側は険峻な急坂に竪堀、北側は大規模な空堀二ヶ所を設け、更に川を廻らす。南は建部本城に通じる地形は守るに有利な竪城であった。 本城にいた一色義清は織田信長の命によって攻めてきた細川・明智勢に戦い破れ中山城に入り再起を計った。 天正七年(1579)九月二十日、細川・明智勢二千四百余騎をもって攻め立てたが落ちることはなかった。城代沼田幸兵衛の変心によって城に火をかけ総くずれとなり義道主従三十八騎、この下の由良川畔で自刃したと伝える。九月二十四日であった。 『中山城跡案内板』より
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資料 |
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私見 |
宮津市から国道178号線を走らせ舞鶴市へ入って約2キロメートルほどでしょうか、左折し八雲橋を使って由良川を渡ります。橋を渡った先の正面にある山が中山城跡です。左折してすぐに登城口があり、案内板も設置されています。どうやら登城道は山上にある神社への参道のようですが簡単に登れてしまうので少々物足りなさを感じます。神社の建物が建つさらに上がちょうど城跡の南端あたりになるようで搦め手だったようです。その南側は大規模な工事が行われていますので城跡はなんとか破壊の手を免れることはできたようですね(^^;。 ここから北へ向かって尾根上を進んでいくことになり、すぐに見事な堀切が見えてきます。さらに前方へ視線を送るとその先の郭も堀切で分断されているようで、なんどもアップダウンを余儀なくさせられることがわかります。幅こそ20〜30メートルとあまりないのですが南北にかなり長細く伸びた尾根筋に延々と城域が続いているように感じます。堀切の上に土塁が弧を描いて郭の一部をめぐっている箇所もあり、なかなか見ごたえのある遺構が残っているのは嬉しい誤算でした。さすがは丹後国守の居城ですね。往時の山上からの景色は、由良川の流れや広範囲に渡って広がる街道が映っていたことでしょう。
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