HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

西一口城跡


登城日:(2006.05.28)
所在地: 久世郡久御山町大字西一口
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
南北に細長く伸びる西一口集落  西一口城がいつ頃、誰の手によって築城されたかは不明である。少なくとも斎藤実盛の居館であったとされていることから十二世紀にはすでに存在していたようだ。
 承久三年(1221)の承久の乱では、後鳥羽上皇方が一口に一条信能・二位法印尊長・坊門忠信らを配したとされている。さらに、元亀元年(1570)には三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通)が一揆に乗じて山城に出兵し御牧城(西一口城)を攻め落とした。その後十月二十二日には羽柴秀吉が細川藤孝と共に奪回したとされている。

『日本城郭体系11』新人物往来社刊参照

【戻る】

資料
 

私見
 かつては巨椋池が城の東側にあり、淀川への排水口として存在していた西一口城は三方を池や川に守られた要所にありました。かつての水面は水田となっていますが今も集落とは段差が残っており、おおよその形状をうかがうことができなくはないです(汗)。
 現在はすぐ南を京滋バイパスが走っている城跡は古城という字名が残っていたようです。日本城郭体系には斎藤実盛の子孫が住まわれているとあったので「まさかなぁ・・」と思いながら地元の方に聞いてみると確かに斎藤姓が今も多いそうです。ほんとに関係があるのかは知るべくもありませんが、ロマンを感じますよね。
【戻る】