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田辺城跡
登城日:(1999.10.09)
所在地: 舞鶴市字南田辺
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
鶴舞公園となっている田辺城跡。 戦国時代の末期の天正八年(1580)、丹後国は細川藤孝、忠興親子の領国となります。細川氏は、現在の伊佐津川と高野川に囲まれた平野部に田辺城を築きました。これ以後、田辺城は細川・京極・牧野氏の居城として約二百九十年間、領内統治の中心的存在でした。明治六年(1873)、田辺城は廃城とされ、本丸付近は現在、舞鶴公園となっています。また、「舞鶴」の地名は、田辺城の別称(舞鶴城)に由来しています。
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資料
復元された天守台跡。
城主一覧
天正 8 1580 細川 藤孝
天正10 1582 細川 忠興
慶長 5 1600 京極 高知
元和 8 1622 京極 高三
寛永13 1636 京極 高直
寛文 3 1663 京極 高盛
寛文 8 1668 牧野 親成
延宝 1 1673 牧野 冨成
元禄 6 1693 牧野 英成
元文 2 1737 牧野 明成
寛延 3 1750 牧野 惟成
天明 3 1783 牧野 宣成
文化 1 1804 牧野 以成
文政 8 1825 牧野 節成
嘉永 5 1852 牧野 誠成
明治 2 1869 牧野 弼成
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私見
3連休の初日ということでほんと車が多かったです。それでもなんとか舞鶴まで来てしまいました。(^^; 西舞鶴の駅を少し越えて警察の前に田辺城跡を発見しました。例によって駐車場が見当たりません。ぐるっと回ってすぐ近くに市の駐車場を発見できてよかったですけど、最近多いですね。車を止め難いところが。
復元された隅櫓。
  警察の向かいにある城門をくぐりぬけるとそこは・・市民公園でした。が、以外とちゃんとしてますね。彰古館という名の復興隅櫓と櫓門とがそれぞれ資料館となっています。入場料は無料です。やたらと奇麗んですが、それだけかなと思ったら、天守台だけは発掘されたものを復元してました。やっぱりひとつはそういうのもないとなぁと思いながらさらに北をめざしてその場を去りました。
数人のおじさんがやたらカメラを撮っていたんですが、同志なんでしょうかねぇ。うっかり知っている名前の人だったらこわいんで近づかなかったですけどね。
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