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淀古城跡登城日:(2011.08.18) 所在地: 京都市伏見区納所北城堀 |
歴史 |
淀には大きく分けて2つの城が時代を変えて存在していた。江戸時代に築城された城に対して、それ以前のものを淀古城と呼ばれている。淀は、宇治川・木津川・桂川などが合流する場所にあり、水運と交通の要衝であった。また軍事拠点という側面も持ち合わせており、室町期には山城国守護である畠山政長が畠山義就に備えるため、守護所を勝龍寺から淀に移したものと見られている。
下って永禄二年(1559)三好長慶は細川氏綱を淀に派遣し足利義輝を牽制させた。氏綱没後は三好義継、松永久秀方の武将らが継ぎ、三好三人衆によって攻め落とされた後には家臣の金子某が入る、など常に戦乱の中にあったようである。さらに信長の入京と共に落城すると、次いで明智光秀が本能寺の変後に改修を行っている。その後天正十七年(1589)羽柴秀長によって大改修が行われ、淀殿の産所として整備されたのはよく知られるところである。その後文禄元年(1592)木村常陸介が居城としたが、同四年に廃城となった。
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資料 |
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私見 |
とっくに行っていたつもりでしたが淀古城の記憶がありませんでした。と今更のようでしたが、気づいたその日のうちに行ってみました。平日の夕方でまだ明るかったのですが、すでに石碑がある妙教寺は閉まってました。残念ですが一応予測はできていたので周囲を少し歩いて、地形から古城の面影を手繰り寄せようと思います。 京阪「淀」駅から北へ。納所の交差点から千本通りの坂をあがっていきますと、城域とされる一帯が周囲よりも高台にあったことが分ります。また、納所小学校北側を流れる小さな川がものすごく深くえぐられるようになっているのが印象的でした。この辺りは『納所南城堀』『納所北城堀』などの地名が残っているのも素晴らしい。交通や流通そして軍事の拠点として重視されてきた場所に立っているのかと思うとワクワクしてきます。しかし、夕暮れせまる平日には穏やかで落ち着いた空気が流れる静かな住宅街でした。
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