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吉原山城跡


登城日:(2005.05.04)
所在地: 京丹後市峰山町吉原
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
長い削平が続く善明砦跡 眺望が素晴らしい二の丸  吉原山城は、一色・細川・京極三氏の城地として約五百年間の間、丹後の政治・軍略の中心であった。しかし、城といっても天嶮を利用した山城であり、切崖や堀割の上に平坦地を作り、柵をめぐらし木戸を構えて、敵襲の場合は逆茂木を埋め、陣屋を建てて寄手を防ぐというきわめて原始的なものであった。
 嘉慶二年(1388)守護一色詮範は、吉原山祇山(やまかみやま)に始めて山城を築いて立てこもったが、その後山頂の人呼びの嶺を本丸と定め、西丸や、三段の砦を設ける等、本格的な築城にかかり、守りを固めた。
 織田信長の天下統一とともに、城主は細川氏にかわり細川興元は天正十年(1582)本丸に御陣屋を建て、二の丸・三の丸をおき寺谷の東(今の上町)市街地を開いて、嶺山と名付けた。
 徳川時代になってから、藩主は京極氏にかわり、初代高通は、元和十年(1624)お国入りをして城下町をつくり峯山町と改称した。この頃になると城砦の必要がなくなったので、山城を廃して藩主の居館(御陣屋)御蔵・表門・侍屋敷・御粗長屋等をつくった。
 吉原山は、京極氏が山頂に蔵王権現を祀っていたことから、権現山と呼ばれるようになり、現在にいたっている。

『吉原山城跡案内板』より

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資料
 

私見
北側のW郭と帯曲輪 搦め手側の堀切  山麓部の峰山陣屋を散策したあとは迷わず山頂の吉原山城を目指すことにしました。標高180メートル(比高140メートル)の吉原山城は竹原街道、熊野街道が通る交通の要衝です。まずは大手道をあがっていくことにします。
 ただまっすぐに緩やかな勾配を歩いていくだけでなんの面白みもないのですが、稜線が左右に広がるようになってくるとようやく城域となります。主郭へは右方面となり、左側は善明砦と呼ばれる曲輪となっています。曲輪にそって車道がついており駐車場もあるのですが確か山麓で出会ったおじさんには「許可がいる」と言われたので普通は歩いてこないといけないんだと思います。かなり縦長の曲輪である善明砦の南側にも大小いくつかの曲輪が見られますね。
 さて主郭にいくには左へ大きく迂回させられ、V郭やU郭を経由していくことになりますのでかなり堅牢な構造になっているように感じます。主郭を中心にして南にはいくつか小さな曲輪が、そして西には鞍部を挟んで眺望が素晴らしいU郭があり、その南側にV郭やさらに曲輪がいくつか。北には帯曲輪を配したW郭、そして東にはX郭、堀切りの先には尾根上に広がる曲輪群が続きます。権現社が祀られている主郭は大きさこそたいしたことないですが、山城全体で見ればなかなか楽しめる縄張りだと思います。(縄張り図『図説近畿中世城郭事典』城郭談話会刊参照)
 でも・・・麓にある図では主郭の北側にあるW郭を「三の丸」としているように見えます(^^;;;。
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