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亀山城跡 登城日:(1999.12.24) 所在地: 亀山市 |
歴史 |
亀山城は、天正十八年(1590)岡本良勝によって築城されて以来、歴代藩主により城郭も整えられた。当初は三層の天守閣があったが、寛永九年(1632)に幕命により解体され、正保年間(1644〜47)天守台に多聞櫓が築かれた。
天守台南面の高石垣は、直高14.5メートルもあり、野面石(自然石)を牛蒡積みとした中くぼみの扇形勾配で、堅固・優美さを備えており、四百余年の風雪に今も耐えている。 白壁の櫓・門・土塀などを連ねる景観を蝶の群れが舞う姿にたとえられて「粉蝶城」とも呼ばれた。 亀山は東海道の要衝であるので、江戸時代前半には幾度も城主が交替したが、延享元年(1744)六万石で石川総慶が入封後は、明治まで十一代百二十余年、石川家が続いた。 明治以降、城郭の大半が破却され、現在は天守台・多聞櫓・外堀・土塁の一部が残るのみであるが、多聞櫓は県下で唯一現存する城郭建造物として、昭和二十八年三重県史跡に指定された。 『亀山城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
高い石垣の上に立てられた多聞櫓が有名な亀山城は、ほんとにこの多聞櫓しかありません。へたに余計なものをつくって興ざめしてしまうよりは現存する建造物のみにとどめておいたその判断は正しいと思いますが、この小さな櫓が唯一の三重県の現存建造物とはちょっと寂しいですよねぇ。
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