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国府城

国府城跡


登城日:(2008.05.04)
所在地: 志摩市阿児町国府
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
県道脇の小高い丘上に残る国府城跡 国府城跡の土塁  この山上が国府城主三浦新介の城址である。
 三浦新介の父は鎌倉時代伊豆相模の国司従四位下義同で新介はその末子、故あって「うつろ船」に乗せられ、海に流され、国府岩本海岸に漂着わが祖先武右衛門国分寺住職に助けられ後伊勢国司北畠氏より国府城主を命ぜられた。
 今は三浦新介が崇拝していた稲荷大明神をお祀りしている。

◆三浦稲荷大明神由来記
 ここにお祭りしている三浦稲荷大明神は、元伊豆相模の国司三浦家において代々お祭りしていたものを、永正十三年(1516)三浦新介が国府の地に来りしとき、家運の継栄と、住民の幸運祈念のため、持参奉祀したものであるといわれている。
 三浦新介は、伊勢国国司北畠氏より、国府城主を命ぜられ、この丘に築城、周辺七か村を治めていたが、永禄十三年(1570)九鬼喜隆志摩国を制覇するに及び廃城となった。その後この大明神は当時の家老井村武右衛門を始め、井村家代々に引き継がれ丁重にお祭りされて来たもので特に創祀六百年祭には、井村武四吉が本堂の改新築を行い現在に至っている。誠に御利益高評の大明神として参詣者があとを絶たない。

国府城跡案内板より

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資料
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私見
 国府城があったとされる場所は県道514号線脇にある三浦稲荷が祀られている小高い丘上にありました。神社以外にも畑地もあり、かなり改変されてしまっていることがわかります。一番高台に丸く郭跡があり土塁がめぐらされていたことがわかります。
 三浦氏以前に居たとされる国府大膳ら国府衆は、北畠氏に属する地頭でしたが三浦新介が現れてからはその名が消えてしまったかのように見つからないそうです。城の案内板にも三浦氏以降のことしか書かれてませんでしたので、国府氏のことも少し触れてみました。
 海からは少し離れた高台にあるこの場所は付近の集落を治めるには適した場所だったのでしょうね。
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