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北目城跡
登城日:(2002.05.19)
所在地: 仙台市郡山四丁目12
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 往来の激しい通りに案内板だけがある城跡  この城は江戸時代に書かれた「仙台領古城書上」などによると天正年間(16世紀後半)までは粟野大膳の居城でしたが、伊達正宗が関ヶ原の戦い(1600)に際し、上杉勢と対時する拠点としたとされています。東西約370m、南北約280mの平城です。
 平成4〜5年の発掘調査によって江戸時代初めの、複雑な構造の堀跡が発見されました。堀は上幅10〜14m、深さは3m以上で、堀底に段差や「障子」と呼ばれる障壁が築かれていました。堀の中からは刀剣、陶磁器、漆器、建築部材など多くの遺物が出土しました。
 付近には「館ノ内」「出丸」「矢来」など、城に関わる字名が残っています。

『北目城跡案内板』より

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資料  

私見  広瀬川が近くを流れる北目城は、粟野大膳が茂ヶ崎城からうつってきた城です。茂ヶ崎城はこの北目城からも見えるNTTの放送局がある山の上にある山城です。この移動の理由はわかりませんが、北目城は完全に宅地のなかに埋没してしまっています。かろうじて案内板があるのが救いなんですが、その後にある藪はえほうだいの空き地はその城跡だってことで放置されてるんでしょうかねぇ・・。  ちなみに、関ヶ原の戦いの後は伊達家家臣屋代勘解由兵衛が城主を務めたようです。
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