城めぐドットコム HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

仙台城

仙台城跡


登城日:(2002.05.20→2010.05.29)
所在地: 仙台市青葉区川内
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
本丸内に設置された政宗像 高くそびえる本丸石垣 ◆仙台城の歴史
 仙台城は初め千体城、後に千代城と称し、鎌倉時代の末から室町時代の中頃にかけて島津氏が陸奥守として居城したといい、室町時代の末頃には国分荘の国人国分氏が一時居城したともいい伝えられているが明らかでない。
 豊臣氏の頃、後の仙台藩祖伊達政宗公は天正十九年(1591)以来58万石を領して玉造郡岩出山城に在ったが、慶長五年(1600)関ヶ原の戦いに徳川家康を助け、石田三成と呼応した会津の上杉景勝を牽制し家康をして二正面同時作戦の不利を回避させた功により新たに刈田郡を増加、仙台60万石(後近江、常陸で2万石増加)に封ぜられた。この時政宗公34才、大いに工を起して仙台城を築城、同時に戸数1万8百人口5万2千の城下町を開いた。二代忠宗に至って二ノ丸、三ノ丸を造営し、62万石の雄藩にふさわしい城郭を完成した。
 かくして仙台城は藩祖以来伊達氏、13代270年にわたり1度も戦火を被らなかった平和な城として郭内の殿舎、楼櫓を完全に保存して明治時代に至ったが、心無き俗吏によって破却せられ、あるいは火を失し、戦災に罹りなどして全滅に帰した。尚本丸の地は仙台七崎の一つ青葉ヶ崎で仙台城の俗称を青葉城とよぶのはこのためである。
仙台城本丸の石垣 本丸詰門跡 ◆本丸石垣
 平成九年から十六年にかけての石垣解体修復工事に伴う発掘調査により、本丸北壁の石垣は、伊達政宗による築城後、二回の大規模な修復が行われ、三時期の石垣が重複していることが明らかになった。T期の石垣は慶長六年(1601)政宗築城期に築かれたもので、旧地形を利用しながら山の斜面を切り崩し、盛土を最小限にして整形した緩やかな勾配に自然石を積んだ野面積みの石垣であった。U期の石垣は元和二年(1616)の地震でT期の石垣が崩壊した後に築かれた。T期石垣の残存部分を解体、または背面の盛土内に埋め込んだうえで、より大きな石材を使用して築かれていた。V期の石垣は正保三年(1646)と寛文八年(1668)の二度の地震を経て築き直された石垣で、度重なる地震に耐え、300年以上も持ちこたえた切石積みの石垣である。

◆本丸跡と建築群
 本丸は海抜115m〜140mの丘陵性台地に立地し、東西約243m、南北約265mの広さがあり、東と南は断崖、西は御裏林と呼ばれる深い自然林で守られていた。1610年(慶長十五年)、着工より約10年でほぼ全容が整い、天守閣は造られなかったが、大広間を含む広大な御殿、5ヵ所の櫓、詰の門、能舞台、懸造りなどの建築物が偉容を誇っていた。
【本丸御殿(本丸大広間)】1610年(慶長15年)完成。桃山式書院造りで、俗に「千畳敷」といわれる豪壮なものだった。
【懸造り】艮櫓と巽櫓の間の東崖際に突き出た数奇屋風の書院建築で、城下を一望でき、正宗以下、歴代藩主はここを城下行事の観覧などに利用した。
【艮櫓】瓦葺入母屋造りの三重櫓で美しい屋根勾配をもち、1600年代なかばの地震で他の4つの櫓と共に崩壊したと考えられている。
【詰の門】二階の梁間が前面に張り出し、棟の上に鯱が乗るなど規模ならびに意匠面で、大手門に極めて似ており、また、両脇には艮櫓と同様の三重櫓がそびえていた。
撮影が難しい政宗像 西方門そばの石垣 ◆二の丸跡
 二の丸は寛永15年(1638)二代藩主伊達忠宗によって造営された。二の丸の御殿部分への入口は詰門と呼ばれ、瓦葺で、棟の両端に鯱瓦がのる堂々たる門であった。この門を入ると、玄関、遠侍、小広間、能舞台、御座の間などの主要殿舎が建ち並んでいた。対面等の儀式の場である小広間は総面積が145坪あり、本丸大広間の約三分の二の広さがあった。
 北西部には中奥に呼ばれる私的建物群などがあり、藩主の日常生活の場として機能した。文化元年(1804)に火災にあった後に再建されている。明治に入ると一時、新政府の役所である「勤政庁」が置かれ、その後は東北鎮台、第二師団が置かれた。明治15年の火災でほとんどの建物が焼失した。
◆仙台城大手門跡
 仙台城大手門は素木造二階建、入母屋造本瓦葺で一階は正面七間、背面五間、二階は十間の規模で桁行は六十五尺(約20m)あった。両脇と裏面は漆喰壁で禅宗様の火灯窓を持ち、正面冠木に菊と桐の金箔押の飾金具をあしらい棟に鯱を頂く。全国随一の規模を誇る桃山様式の威風堂々とした美しい城門で、二層の隅櫓とともに国宝に指定されていたが、昭和20年7月9日の仙台空襲により焼失した。
 現在の隅櫓は昭和39年に復原したものである。
大手門隅櫓 大学となっている二の丸跡 ◆仙台藩御用酒発祥の地
 仙台藩祖伊達政宗公は慶長十三年(1608)柳生但馬守宗矩の仲介により大和の榧森の又五郎を仙台に召下し、榧森 の姓と、切米十両、十人扶持を給し、清水門の南側御太鼓部屋下に自ら地を相し縦十六間、横五間の酒蔵を建て、御城御用御酒屋と称した。酒造用水にはこの附近の清泉が使われた。
 榧森家は初代又五郎より十二代孝蔵に至るまで仙台城御酒御用を務め、その醸造する酒は夏氷酒、忍冬酒、桑酒、葡萄酒、印籠酒など二十余種にも及び仙台領内の酒類醸造に多くの影響を与えた。
 以来仙台藩に於てはいわゆる町酒屋と御用御酒屋とか競い合い酒類醸造技術の向上と藩の経済に大いに貢献した。
 御酒蔵跡と名水の湧出する地は宮城県清酒の源流の地である。

『仙台城跡案内板』より

【戻る】

資料
【地図を表示する】
 

私見
三の丸の堀跡である五色沼 三の丸子方門跡  ようやく仙台城への再訪がかないました。残念ながら天気はあいにくの雨・・ま仕方ありませんね。仙台駅からは市バスを利用して城に行くことになりますが、時間に余裕がある方はループバス「るーぷる仙台」を利用してみましょう。さらに1日乗車券600円を使えば、内の観光スポットを安く利用できるのですからこれはもうどっぷり仙台を堪能しないと損じゃないでしょうか。しかし私は城だけで十分ですので市バスで城へ直行します。仙台城の最寄りのバス停は「仙台城跡南」ですが、手前の「博物館・国際センター前」で降りることがポイントです。すぐ先に仙台市博物館が見えてきますが、実はここは仙台城の三の丸跡なのです。ここから歩いて本丸を目指すことにしましょう。標高約132メートルの山上に建つ仙台城の威容を実感しながら一歩一歩上がっていくことで一層臨場感が出るというものですよね。
三の丸内にある政宗の胸像 清水門跡の石垣  博物館の入口へと通じる両脇残る五色沼や長池はいかにもという雰囲気を持つかつての水堀跡です。また入口には石垣が見えますがここは子方門跡でした。ほんとは博物館もじっくりとみてまわるのも楽しいのでしょうけれど、先を急ぎますので建物の奥へと回り込んでいきます。すると伊達政宗の胸像が設置されていました。この像はかつて仙台城に設置されていた政宗像でしたが戦争の際に供出されてしまい、幸運にも上半身だけが残った形で発見されたのです。現在本丸に設置されている像はこの像とおなじ鋳型から作ったものだということですので、政宗公の顔をじっくり見るにはここに来るのが一番なのですね。ここだと独眼竜で有名な政宗に両目があるんだと再確認することができますよ。それは政宗が遺言として自身の像や肖像画には両目を入れるように言い残したことが由来のようです。若干目元が怖い顔ですが、まじまじと見てしまいました。
 そしてその先からは登り斜面へとなります。緩やかな坂道ですので多くの方が往来しており、普通に歩いて約10分で本丸に到着する気軽な散歩道といった感じです。少し行くとすぐ右手に仙台藩御用酒の発祥の地である石碑が設置されています。かつて清水が湧き出でる場所だったのでしょうね。そして目の前には立派な自然石で積まれた清水門跡となります。
本丸から見渡せる仙台市内 道路に突き出た石垣  二度ほど折れ曲がったあたりからでしょうか、本丸の石垣がものすごい存在感で迫ってくるようにそびえたっていました。整然とした切石で高く積み上げられた石垣は復元されたものですが、よく見ていけば刻印を持つ石がありますので元々あった石をうまく取り込みながら積み上げられたのでしょうか。まぁそうこうしているうちに本丸はすぐそこです。鳥居をくぐったところが本丸詰門跡であり、そこを過ぎると山頂の本丸跡です。だだっ広い平坦地が広がる本丸が仙台城の特徴です。ただ残念なのはお土産物屋さんや神社、レストランなどが立ち並びすっかり往時の雰囲気をなくしてしまったのも特徴の1つです。とりあえず仙台城見聞館で当時の姿や発掘時の様子を勉強できますのでここで想像をより鮮明にすることにしましょう。そして外に出て、眼下に広がる市内の景色を楽しむことにしましょうか。
 とはいえ、やはりみなさんの一番の興味は政宗のようです。ただただカメラを向けて馬上の政宗公の撮影大会となっていました。かなり高い場所にある銅像ですので、逆光となりやすくうまく撮影するには苦労されることと思います。ほとんどシルエットだけの写真になってしまうかもしれませんね。
S字状に道路が走る中門跡 支倉常長像  本丸を一通り見て回ったらまた詰門跡に戻ってきました。ここからるーぷるに乗ってもいいのですが、少し左に歩いていってみます。車の往来がある道路ですので注意しないといけませんが、こちらからみる石垣もなかなか見応えがあるのです。特に道路から生えているかのような状態にしてある西方門そばの隅石は車がぶつかって事故にならないかと心配してしまうほど道路に迫っており(ほんとは逆ですね)、なかなか迫力がありますよ。
 山上での撮影を終えて、下山していくことにします。今度は清水門へ右折するのではなくまっすぐに降りていくことにします。S字となった道路を挟むようにして石垣が残る中門跡をすぎ、大手門に建つ隅櫓が目当てです。復元ではありますが仙台城としては貴重な建造物です。激しい車の流れを気にしながら撮影することになりますね。そして向いに建つ支倉常長像もついでに。そして何もないですが、一応二ノ丸跡にも立ち寄ることにします。大学構内となってしまっていますので遠目に見るだけですが改めて仙台城の城域の広さと、特殊な構造がよくわかりますね。でもまぁ久々にやってきましたが、そんなにお城としては見るものがすくないにも関わらず多くの人が訪れているのには驚きでした。やはり政宗公の人気は絶大なものがあるんですね。
【戻る】