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岩出山城跡登城日:(2010.05.29) 所在地: 大崎市岩出山城山 |
歴史 |
◆国指定史跡、名勝、旧有備館及び庭園 伊達政宗は、天正十九年(1591)に米沢から岩手沢に居城を移し、岩手沢を岩出山と改めました。慶長六年(1601)さらに仙台城に移り、岩出山は政宗の四男宗泰を初代とする岩出山伊達家が代々伊達一門として治めました。 有備館は、江戸時代に岩出山伊達家の家臣子弟の学問所となった建物で、伊達家当主が時折講義に臨むための場所であった「御改所」(主屋)とその付属屋が現在までその姿を伝えています。有備館の建物(主屋)は、二代宗敏の隠居所として延宝五年(1677)頃に建てられたとする説が有力です。その後、下屋敷、隠居所、学問所として使用されてきました。 庭園は正徳五年(1715)頃、四代村泰の時代に整備されたと伝えられています。仙台藩茶道頭、石州流三代清水道竿の作庭で岩出山城本丸の断崖を借景として池中に島を配した回遊式池泉庭園で、中には300年以上の樹木があり四季を通じた緑や花等で庭の変化を楽しむことができます。 ◆政宗公立像について 政宗公立像は、もと仙台市青葉城址にあったもので昭和三十九年九月仙台市から岩出山へ、寄贈されたものです。 戦後空になった台座に、小野田セメント会社が彫刻家柳原義達氏に託し製作し仙台市に寄贈されたもので平服を着ているところから平和像と呼んでいます。 岩出山は政宗公が天正十九年(1591)九月二十三日山形県米沢から移り慶長八年(1603)八月まで、十二年の間城を構えたところです。二十五才から三十八才までの充実した年代で、その間文禄の役関ヶ原の戦い等に出陣しました。この像の建立を記念し毎年九月の第二土曜日と日曜日に、政宗公まつりを催しています。 『現地案内板』より
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資料 |
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私見 |
JR陸羽東線「有備館」駅を降りると構内に白い騎馬像が設置されていました。場所が場所だけに伊達政宗像なんだなとはわかりましたが、はっきりいってピンときませんでしたが、これでもかつては仙台駅構内で待ち合わせのシンボルだったようで、こちらには平成20年3月16日から移ってきているそうです。残念ながら誰も待ち合わせしていませんでした(^^;。 岩出山城は駅の目の前にそびえる丘陵全体が城であったようで、今でも威圧感はなかなかのものです。城に行く前に庭園に興味がある方は、有備館をどうぞ。私も記念に入ってみましたが、ここにも政宗像が設置されていました。城山にあるものを含め、3体の政宗を見ることができるわけですが、私には有備館にあるものが一番しっくりきました。 さて、城山への登城口ですが一番近いのは有備館の右手からの遊歩道を歩いていけば公園化された空堀跡から取りついて、二ノ丸から中心部へと進んでいけたようですが、私は気づかず城山を左側から回りこんで車道がつけられたところからあがっていきました。ただこちらのルートだと急な断崖となった城山を確認しながらかつて存在していた居館部分の現状も見ることができてよかったです。 大手門跡や城の南側は岩出山小学校、高等学校が建ち並んでおり往時の雰囲気を味わうことが難しい様子。ただそのほかの部分に関しても公園化が進んでおり、手は入っているものの城の面(郭や空堀)をうまく活用したのか、地形全体に見れば城跡を感じさせてくれるものも少なくないですね。特に堀切の深いこと!木を伐採すればその素晴らしさがもっとよく見えるはずなのですが、平和な公園の雰囲気を壊してしまうかもしれません。そして平和と言えば、一番目立った存在である伊達政宗の像です。もともと仙台城にあったものをこちらに移設されたものなのですが平服姿で直立したその格好は、『平和像』と呼ばれる所以なのだとか。とは言え鋭い眼光や、真一文字に閉ざした口元からはとてもそうは感じられませんでした。 政宗像だけで楽しめるこの岩出山城ですが、じっくりと時間をかけて現代に溶け込んでいくかつての姿を手繰り寄せる作業に集中してみるのは結構楽しいお城かもしれません。
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