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今井環濠跡登城日:(2012.10.21) 所在地: 橿原市今井町 |
歴史 |
今井環濠のあった今井は、天文元年(1532)の大和一向一揆の翌年、一向宗の道場が建てられ、やがて本願寺の一家衆である今井兵部卿豊寿が迎えられた。また天正元年(1573)に近江の河瀬兵部が称念寺を建立したという伝承も残る。
同三年、本願寺は織田信長に降伏、今井も降伏を許され、その際に土居構を崩し、矢倉を壊すこととなった。 『日本城郭体系』新人物往来社刊参照 この付近は、今井町の西南隅で、一部環濠が残っていますが、17世紀後半に神社の境内を拡張された記録もあります。古くは二重三重の濠及び土居で囲まれ、一部分は石積となっていることが、発掘調査で確認されました。 整備は一部、今西家所有地を借地して水害を防ぐための遊水池機能と防火のための貯水機能をもち、かつ、環濠のイメージを生かした公園として行いました。発掘調査で検出された石積を修復するとともに、既存の樹木を残すように努めました。 『現地案内板』より
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資料 |
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私見 |
現在も歴史的な建造物が多く残る今井環濠にやってきました。早朝だったこともあり、歩く人もほとんどない中で整然と立ち並ぶ古い家々や真っ直ぐに伸びた街路がなんとも心地良く感じます。現在は東西600メートル、南北310メートルの区域に約500軒の伝統的建造物が残っている今井ですが、東側の約200メートルはあとでできた新町だということですので、それを差し引くと『四町四方ニ堀ヲ堀リ廻シ土手ヲ築キ』(『大和軍記』)とある天正年間の今井環濠の範囲が想像できそうな気がします。 南門跡には外に丸く膨らんだ馬出し状の堀と土塁が再現されており、城郭造りの雰囲気がよく出ていますね。そしてさらに西へと歩いていきますと、現在も水を湛えた堀が見えてきます。明らかに堀跡とわかるものが二重構造を持っています。そこを春日神社を南から西へと周りこむようにして歩いていくと、西側にも二重の堀があったことに気づきます。よく見るとどうやら南側は三重堀のようですね!この辺りの現状は城好きには堪りません。それぞれの堀の幅こそ短いですが、堅牢な環濠集落としての様相をうかがい知ることができたように感じます。 また、往時の範囲を確認しますと、外郭線のラインが直線ばかりでなく張り出した部分や横矢が効いているところもあり、なかなか考えられた構造であったようですね。落ち着いた建造物と、城郭造りの構造を想像しながら街歩きをする。今井はそんな楽しみが出来るいいお城ですね。
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