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須川城跡


登城日:(2005.10.30)
所在地: 奈良市須川町下須川
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
郭の周りを取り囲む土塁。南側が高いです。  須川城が築城された時期は不明だが、は簀川氏の居城である。簀川氏は、康正三年(1457)に初見する一乗院方としてその名が見られ、応仁の乱では古市氏に従ったようである。
 天文十年(1541)に木沢長政に従ったが、小柳生氏とともに長政を裏切り、木沢方の笠置城を襲った。その後は筒井順昭と対立し、天文十二年(1543)に順昭に簀川城を攻められた。当時城としては3つあり、そのうちの二ノ城が落城したとあるがそのうち須川城がどれにあたるのかは不明。
 元亀年間(1570−1573)の松永・筒井両勢力の抗争には松永方として郡山の付城に在番もした。

『日本城郭体系10』新人物往来社刊参照

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資料
 

私見
北側斜面上に張り出した郭。小さいです。  奈良市北部は実にその状態がいい山城が多く残っています。今回もそのうちのいくつかを攻めてみました。周囲に上狭川、下狭川城とあるので混同しそうですがこちらは須川城です。
 頂上近くに電力会社の鉄塔がたてられておりますので目印にしやすいのですが、反面「遺構が壊されてないといいけど」と心配になります。登城は徒歩になりますが、軽トラが通れる道ですのでかなり楽です。とはいえ、最後は比高30メートルほどは直登です。ま、たいしたことじゃないですけどね。
 頂上に上りつめると周囲を高さ1〜1.5メートルの高さの土塁が囲われていることに気づきます。下からでは想像していなかった状態です。また、北、南東、南西にそれぞれ小さな郭が張り出しています。さしずめ物見台といった感じなのでしょうか。心配していた鉄塔は少し下がったところに建てられており、城の保存状態を気遣ってくれたのかなと感じました。多少の土塁破壊はあったのかもしれませんが、遺構を無視して郭の真ん中に作られてしまうことを思えば嬉しい共存じゃないでしょうか。
 登城道がつくられ訪れやすいという面もありますし、今後も山城はできるだけ残す方向で開発を進めてもらえればと願っています。
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