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田原本陣屋

田原本陣屋跡


登城日:(2012.09.21)
所在地: 磯城郡田原本町
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
田原本陣屋跡の案内板  この付近は、江戸時代に田原本以下十市郡内七ヶ村五千石を領した平野氏の陣屋が置かれていた場所である。豊臣秀吉より賤ヶ岳七本槍の一人として軍功を賞された平野権兵衛長泰は、文禄四年(1595)にこの地を拝領した。
 長泰は教行寺に寺内町を築かせてその経営を委ねたが、二代目長勝が寛永五年(1628)に入封し、寺内町の東の寺川沿いに陣屋を築造した。
 支配権を巡る争いの末、教行寺は箸尾へ退去、その跡地に円城寺(現在の浄照寺)と本誓寺が置かれた。
 教行寺により形成された寺内町は、陣屋町として引き継がれ、寺川の水運と中街道沿いという好立地から大和中央部の物流拠点として大いに繁栄した。
 陣屋の規模は南北約350メートル、東西約120メートルで、周囲を濠と土塁で囲んでいた。中央南側に領主平野氏の屋敷及び政庁がおかれ、北半にあたる現在の役場付近には家臣団の屋敷がおかれた。

『田原本陣屋跡案内板』より

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資料
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私見
陣屋跡地である田原本町役場 田原本陣屋跡の案内板付近  全然計画していませんでしたが、薄暗くなってきた時間帯でも城攻めできる場所をと、同行の方に連れてきていただいたのがここ田原町陣屋跡でした。撮影が難しくなっている時間ということもありかなり慌ただしいものとなりましたが、案内板にあった概略図で全体をつかむことができて、良かったです。寺内町時代の中心部である浄照寺や本誓寺がうまく川や水堀に守られている状態であったこともよく分かりますね。実際に歩いてみて実感できなかったのは残念でしたが。
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