長岡城跡 登城日:(2003.05.24) 所在地: 長岡市城内2丁目、長岡駅付近 |
歴史 |
◆「長岡城跡」の駅 江戸時代、この長岡駅を中心に、長岡城がありました。本丸の西側に二ノ丸、東側に詰ノ丸、これらの西、北、南の三方を守るように、三ノ丸が囲んだ平城でした。 慶長十年(1605)頃、掘直竒が築城をはじめ、牧野忠成がひきついで完成させました。本丸には「御三階」と称する櫓があり、ほかにも十二の櫓、十七の城門がありました。 その長岡城は、戊辰戦争で焼失して、明治三十一年(1989)には、城跡に鉄道が敷かれ、長岡駅ができました。このように、駅が城跡に建てられている例は、全国的にもめずらしいものです。 長岡は大河信濃川にはぐくまれてきた町です。南北朝時代、信濃川河畔の蔵王の地に城が築かれ、古志長尾氏が居城してこの地方を治めましたが、慶長・元和にいたって掘直竒が城地を長岡に移しました。元和四年(1618)藩主として牧野忠成が赴任し、以来長岡は牧野氏七万四千石の城下町として栄えました。 長岡城は、現在のJR長岡駅付近を本丸とする平城で、「兜城」または「浮島城」と呼ばれていました。天守閣はありませんが、本丸の角櫓の一つに「御三階」と呼ばれる建物があり、城のシンボルとしてそびえていたものです。しかし、長岡城は戊辰戦争(1868)で焼失したのち廃城となり、今は昔のおもかげをしのばせるものがありません。 長岡市では、そのような情況にかんがみて、昭和四十三年四月、この蒼紫の森につつまれた悠久山公園の高台に城をかたどった郷土史料館を建設しました。貴重な歴史資料や文化財を一堂に集めて展示公開し、郷土長岡の歴史を学ぶ施設として活用しています。 『長岡城跡案内板』より
|
資料 |
私見 |
上越新幹線「長岡」駅の改札の中ですでに長岡城の案内板がありました。ほんと城跡の上に駅が建ってしまってるんですね。私は城跡の上に駅があるところといえば三原城だなぁ。 それはさておき、駅を出て正面の駐車場のところに本丸跡の石碑がありました。また、そのまままっすぐに道路を渡り(ほんとは回り込んで渡ってくださいね。)、厚生会館前の広場には二の丸跡を示す石碑がありました。うーん、完全に現代に埋没してしまってます。(^^; 市街地の平城なんてまぁこんなもんでしょうが、実はここ長岡ではおまけがありました。今度は駅の反対側へ回り、そこから約4キロ離れたところにある郷土史料館はかつての「御三階」の櫓を模した復興天守風の建物があります。うまい具合に?丘陵地の上に悠然と建てられたそれは、ほんとはここにもなにか城があったんじゃないの?と思わせてくれるほど堂々と建っていました。建物派の方々には見落とすことのできない史料館です。
|