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三原城跡 登城日:(2000.05.04→2008.02.11) 所在地: 三原市館町1丁目、JR三原駅 |
歴史 |
日本一の規模を持つこの天守台は広島城の天守閣なら六つも入るという広さを持つ。三原城が造られた1567年より約十年後に信長によって安土城が造られ、初めて天守台に天守閣が聳えるようになり、以後全国に流行しました。然しこの三原城築城の時はまだ天守閣を造る思想のない時代だったと考えられます。山城から平城に移行する時代のごく初期の城築です。
この裾を引いた扇の勾配の美しい姿は群を抜きます。しかも余人は真似るべきではないと言われた「アブリ積み」という特殊の工法は、古式の石積形式を四百年経た今日まで立派に伝えております。 小早川隆景は、兄の吉川元春とともに、甥の毛利輝元を助けて中国統一を完成させて瀬戸内海の水軍を掌握していた。 隆景は、天正年間毛利氏の広島築城と相前後して、沼田川口の三原の小島をつないで城郭を築きここに移った。三原城は海に向かって船入りを開き、城郭兼軍港としての機能をそなえた名城で、満潮時には、あたかも海に浮かんだように見えたので「浮城」と、呼ばれている。 小早川氏の移封後も、福島氏・浅野氏の支城になっていたが、国鉄山陽本線が本丸を貫き、今は天守台とそれをめぐる濠、及び五番櫓と船入り跡が残るのみである。 『三原城跡案内板』より
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資料 |
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私見 |
朝駆けで三原城跡に来ました。ここはJR三原駅がすっかり城を取り込んでしまった感じですね。天守台に登るためには駅内に設けられた専用の通路を使うしかないほどですから。
しかし、立派な堀と石垣は見事です。何が「アブリ積み」なのかはちょっとわかりませんが、とにかく圧倒されますね。 三原城は多く存在する移築城門めぐりをするのも面白いですね。久々にやってきましたが北側の堀を工事していました。駅に分断された天守台から見下ろしながら「綺麗になってきてるなぁ」と思うのはどうかなと思いつつ・・(^^;
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