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日上山城跡登城日:(2009.05.05) 所在地: 苫田郡鏡野町寺和田 |
歴史 | ![]() ![]() ![]() 永禄七年(1567)日上山城主 小瀬勘兵衛政秀の長子として生まれた。幼少より向学心に燃え儒学者藤原惺窩に師事、併せて医学、軍学、史学、易学にも長じた。 若年より宇喜多氏に従い多くの武功があった。一時豊臣秀次に医術を以て仕えたといわれる。 又堀尾吉晴に仕えたときは松江城構築に功があった。吉晴亡後は浪人して政治、道徳の正道を求め学問の研究著述に専念し多くの著書を刊行した。 晩年加賀の前田利常に仕え名著書太閤記を公にした。寛永十七年(1640)七十七才で没した。 ![]() ![]() 太古の昔より人類は植物と共に生き、植物の持つさまざまな特性を知り、大きく生活に利用してきました。長い年月のなか植物と共生するうちに人類は成長し、本日の文化を築いてきました。 しかしながら近年、中国山地自生の多くの植物群も生態系の変化、放任、荒廃、都市化の流れのなか、種の減少や絶滅もあり、併せて山林の持つ機能低下や、人類と植物との歴史文化も忘れられてきております。 里山「日上山を守る会」の自然愛護運動は、この地方の失われかけている植物の保存保護を目的とし近い将来、花咲く、歴史、健康の山を願いながら、多くの方の奉仕によって整備されています。 『日上山城跡案内板』より
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資料 |
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