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鴨山城跡
登城日:(2000.05.03)
所在地: 浅口郡鴨方町鴨方
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
城跡を示す看板の脇に大きな堀切が 細川管領家という名門の後裔に当たる鴨山細川氏の初代満国は、備中国浅口郡、矢田郷、伊予国宇摩郡、温泉郡などを領有しこの城を築いたといわれている。七代通薫(みちただ)は伊予国で育ち後、伊予川之江城にいが、天正三年(1575)に鴨山城主になる。
通薫の子の元通は浅口少輔九郎と称して、慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いに毛利秀元の客将とし参陣した。この後、細川一族は長州へ拠を移したようで、この時期に鴨山城は廃城となったのだろう。

『日本城郭体系13』新人物往来社刊参照

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資料
 

私見
山の中いたるところに巨石が、そしてそこに仏様 鴨方藩陣屋跡でゲットした資料に裏山にあたる場所に鴨山城跡があることを知って早速ついでにいってみました。長川寺の脇から登っていくコンクリート道をしばらく走らせていけるところまでいくと目の前に「鴨山城跡」を示す看板が迎えてくれました。車を止めた場所から一歩山道へ踏み込もうとした脇には、堀切があります。そこから少し山にはいっていくと不思議な状況に戸惑いました。まわりには城跡に相応しからぬ巨石が至るところに転がっています。また積み上げられています。驚くべきところはそれらの巨石の一つ一つに仏が掘ってあることでした。「うわっ、なんやこれ。」どこかの霊山に迷いこんだ気がして気持ちわるくなりましたが、これはいつ誰の手によるものなのでしょう。まさか細川家が行ったとは思えないですし・・・
結局、遺構とされている一の段から五の段まではすべてを確認することはできませんでしたが、この特異な雰囲気をもつ鴨山城はなかなか不思議でしたね。
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